明石家さんまが好きじゃない。
でも、
「嫌い!」
言い切るほどの熱量もない。
・・・・・むかしは好きだったんだよな。
地元は大阪だ。・・・・で、東京に就職でやってきた。
なので、
必然的に、
関西出身の芸人・・・・特に、吉本勢には、自然「肩入れ」」していた。
「大阪から東京」
あまたの芸人、ミュージシャンが挑戦して、
そして、敗れていった。
大阪で、
「メッチャおもろい!!」
「メッチャ、かっこええやん!!」
そんな人たちが、
「天下を獲る!!」
そんな気合とともに、東京に挑戦し、
んで、負けていった。
お笑いなら、
「やすきよ」も、東京進出し・・・・・・
だけど、
まぁ、
なんだか中途半端に終わったよな・・・・んな感じ。
たかじんも、けっきょく失敗・・・・・んで、地元関西戻って、
最後は、
関西の「ちょー大御所」ってかたちで亡くなった。
吉本じゃないけど、
鶴瓶だって、一回、失敗して撤退していったしな・・・・・まぁ、ヤツの場合は「放送事故」での、自業自得ってのがあるけど・笑。
今でこそ、
「関西弁」ってのは、市民権を得た感じだけど、
むかしは、
「関西弁」なんつったら、
「おかしな言葉」でしかない。
・・・・・あるいは、「ヤクザ」の言語。
「関西人」にとって、
東京ってのは、
とにかく、ハードルの高い街だった。
「全国区」ってのは、
とてつもなく、ハードルの高いものだった。
幾多、数多、死屍累々。
その、とてつもなく高いハードルを、
いちばん「キレイ」に、くぐり抜けたのが、
「明石家さんま」なんじゃないかと思う。
じっさい、
「突破」した。
ってんなら、
80年代の「お笑いブーム」の勢いで突破してきた、
「B&B」や、「紳助・竜介」だったろうとは思う。
・・・・・・昼の番組、スタジオアルタで、一世を風靡してたしな。
で、
その流れというのなら、
今、話題の「ダウンタウン」が、
正式に、
その「高いハードル」を突破したんだろうと思う。
けど、
これらには、
どこかに、
「肩に力が入った」
そんな感じがある。
大阪で「頂点」を極めて、
満を持して「東京進出」を図る。
負けて、
おめおめと大阪には戻られへんで!!
そんな、
「悲壮感」みたいなものすらある。
そんな「気負い」もなく、
すぅーーーーーーーーーっと・・・・
そのハードルをくぐりぬけて・・・・・「すり抜けて」きたのが、
「明石家さんま」だったと思う。
オレたちにとって、
「明石家さんま」って、
なんだか、
よくわかんない存在でさ。
別に、
「お笑い芸人」ってほど、
「お笑い」ってイメージはない。
だって、
漫才師じゃないし、
落語家でもない。
オレたちが子供の頃に、
「ちょっとおもろい素人の兄ちゃん」
って感じで、
三枝・・・・・いまは、「桂分枝」か。
その、「使いっぱ」ってイメージくらいしかない。
いや、
文枝の使いっぱってのは、
その下に、「桂文珍」とかがいたわけで、
その下の、
ホンマに、
素人の、
「ちょっとおもろい」
そんなんが、「明石家さんま」やった。
だから、
80年代の「漫才ブーム」の時代は、
全くの「蚊帳の外」だったし、
「お笑い芸人」ってイメージは全くない。
だってさ、
くどいけど、
さんまって、
漫才師じゃないし、落語家でもない。
「漫才ブーム」に乗りようがなかった。
・・・・・・それが、
なぜだか、
「ひょうきん族」に登場していて・・・・・・
これが不思議だったんだよな。
「ひょうきん族」って、
80年代の漫才ブームの面子が、そのまま移行していった番組だった。
漫才コンビが、そのまま平行移動していった番組だった。
なので、
最初、
さんまが「ひょうきん族」に登場した時には、
「なんで???」
って感じだった。
・・・・・で、
あれよあれよで、主要人物になっていく・・・・・
「明石家さんま」
気付けば、
その流れで、
すぅーーーーーーーーっと、
東京のテレビの中に存在していた。
・・・・・で、
「役者」として開花していく。
「男女7人」シリーズで、
一気に、スターダムに駆け上がっていく。
考えてみれば、
「お笑い」が、
「役者」へと進出していく、
その最初、
きっかけも、「明石家さんま」なんじゃないかと思う。
それまでは、
「お笑い芸人」
それが、
映画、テレビドラマに出る。
そうなれば、
それは、
「お笑い芸人」としての、出番であって、
「役者」として、出演するって人はいなかった。
その、
「画期的」をやってのけたのも、
「明石家さんま」だった。
・・・・その成功を成し遂げられたのは・・・・
おそらくは、
さんまの「関西弁」は、
「奈良弁」だ。
「大阪弁」じゃない。
関東の人にとっては、
全て、
同じ「関西弁」に聞こえるかもしれないけど、
「関西弁」とひとことで言っても、
県によって微妙に違う・・・・・・これは、関西の人間にとっては、「大きな違い」だ。
「奈良」
「京都」
関西弁でも、
どこか、「優しい」
「京都弁」は、
女の人が良く似合う言葉だ。
「はんなり」・・・・そんな言葉がしっくりする、関西弁だ。
簡単に言えば「威圧感」がない。
それが、
東京には、受け入れやすかったんじゃないかと思う。
・・・・・もう、ひとつは・・・・・
明石家さんまは、
当時、
そこまで、関西で、
「チョー売れっ子」ってとこまでじゃなかった。
・・・いや、
さっきも言った通りでさ、
さんまって、
「何者」か、わかんないんだもん・笑。
漫才師じゃないし、
落語家じゃないし、
んと、
単なる、
「ちょっとおもろい兄ちゃん」
それくらいでしかない。
いってみれば、
んとに、
「マルチタレント」って人で、
しかも「若手」で、
そんな部分も、東京では使い勝手が良かったんじゃないかなと思う。
・・・・・で、
「男女7人」シリーズ。
大ヒットをとったドラマだ。
で、
明石家さんまが主演だ。
・・・・・・ってことは、
さんまは、「関西弁」で、
東京を舞台に、「主人公」を張っているってことだ。
オレも、東京で見ていた。
まだ、東京に出てきたばっかりの時代だよ。
明石家さんまの活躍が、
なんだか、
自分のことのように嬉しかった。
「関西人」ってのが、
東京で認められたようでうれしかったんだよ。
「東京」って街は、
日本で一番「関西弁」が似合わない街なんじゃないかと思う。
一番、「関西弁」を拒絶している街なんじゃないかと思う。
その、
日本の首都「東京」を、
「関西弁」の主人公が闊歩する。
しかも、
関西ローカルの番組じゃない。
東京キー局のドラマでだ。
見ていた関西人は、
みんな痛快だったに違いない。
「男女7人」シリーズ。
「シナリオセンター」
通った今だからわかるけど、
脚本が良かったんだよな。
鎌田敏夫氏だ。
大出世作。
ノリにノッた時期の作品だ。
ここから、鎌田氏の快進撃が始まるって作品だ。
その脚本の素晴らしさ。
鎌田氏の勢い。
若手さんまの勢い。
見事なシナジーで社会現象ほどの大ヒットを飛ばす。
「お笑い」で、
役者をやった人は数知れない。
けれど、
主役をやれる。
役者としても一級品だと言えるひとは、そう多くない。・・・・・そう思う。
だから、
「明石家さんま」
ヤツが主役をやったドラマは、いつも見ていた。
オレと同じように、
東京に出てきた関西人は、
さんまの活躍を、
自分の人生と重ねるように見ていたんだと思う。
「オレも頑張るで!!」
そんな、勇気をくれたのが、
「明石家さんま」だったと思う。
だから、
さんまが好きやった。
・・・・・そんな、「明石家さんま」が、
久しぶりに、ドラマをやるという。
かつて、
シリーズ化された、
「心はロンリー・・・・」
そのシリーズの新作ってことだ。
もう、さんまも若くはない。
もう、「老境」・・・・・そういってもいい年代だ。
さてさて、
どんなドラマをやるんだろう。
楽しみにしていた。
楽しみにしていたんだ・・・・・
密かに楽しみにしてたんだけどなぁ・・・・・・・