こんにちは!

(私、53歳、男性です)


さて、(2022年の)年末頃から読み始めた『剣客商売』シリーズを、昨日読み終えました



『剣客商売』を初めて読んだのは、かれこれ30年ほど前です

その時から今回までに、何回読んでいるのかは自分でも分かりません

感覚的には、(5回は超えているけど、10回に達しているかどうか?)です


そこで、今回のことですが・・・

(最終巻の一つ前の)15巻を、仕事帰りの通勤車内で読み終わった時、こんな気分になりました

「嗚呼。オレはこの先、『剣客商売』を何回読めるのだろう」

そんな気持ちになったのは、初めてでした


そう感じた理由の一つは、主人公の秋山小兵衛がだんだんと年をとり、自らの死を意識した台詞が増えてくることもあるかと思います

ただ、最も大きな理由は、2ヶ月ほど前のこと、高校時代の友人(同級生)の死を知ったことだろうと、考えました


その同級生、2022年の2月に、ガンによって亡くなりました

私がそのことを知ったのは、それから約9ヶ月後で、同級生の夫人が喪中葉書を送ってくれたことからでした


(剣客商売の)15巻を読み終わった数日後に、亡くなった友人宅へ行き、仏壇に手を合わせる予定となっていたこともあり、「自分はこの先、何回読めるのか」と感じたのだと思います

友人宅へは、一昨日に行きました




そして、今朝になって、ふと思ったのですが・・・、

"「人はいつか死ぬ」ということを弁えることで、生きかたは違ってくる”というニュアンスのことを、池波正太郎先生は、ことあるごとに発言していた覚えがあります
(エッセイや対談などで発言していたと思いますし、小説の主人公にも、そういうことを言わせていますよね)


なので、今回私が感じるに至ったのは、自分がほんの一歩だけ進んだ、進むことができたからなのだろうと、前向きに捉えることにしました



今、「そうか、そうだったのか!よしよし」

という感じです



❇︎文中では、あえて池波正太郎先生と表記しました。それでいいですよね。今日は「先生」を付けたい気分でした。