こんにちは。



私は幼少の頃、よく泣く子どもでした。


親に言われたのか他の人に言われたのかは、定かではないですが、「男なのに・・・、(そんなに泣いて情けない)」的なニュアンスのことを言われたこともあります。


それが自分の中にきっと残っているのでしょう。テレビや映画などを家族と見ていて、感動的な場面になると、努めて涙をこらえます。


また、これまでに、いくら嬉しいことがあっても、逆にいくら悲しいことがあっても、「泣いた」という表現を、文章に使ったことはありません。

何となく、使うのが躊躇われたからです。



しかし、今日は泣いてもいいでしょう。

仕事の休憩時、昼食を食べながら、泣きました。



偉大で尊敬すべき人、私も大大大好きな、志村けんさんが亡くなりました。



昭和40年代生まれの私にとって、志村けんさんは、巨きな星です。星でした。

その星が墜ちました。


今回は事情が事情なだけに、哀しみの量と同じぐらいの悔しさがあります。

悔しくなくて、何でしょう。



確か、ずーっと前に目にしたインタビューで、好きな曲は何ですかと質問された志村さんは、「ジョージ・ハリソンの『マイ・スウィート・ロード』」と答えていました。



たぶん、今この時も、「マイ・スウィート・ロード」は、地球上のどこかで流れているはずです。それが、志村さんのためではないにしても。



志村けんさん。

永遠に。