ウィーンは伝統を重んじる, 保守的な街という印象がある. [個人の見解]
特に大学関係者は, 役所に並びで権威的で, 歳若い東洋人を
あからさまに見下す者がかなりいて, 息苦しかった. 例外はいる.
一方, ウィーンは先進的な人物を多数輩出してきた街でもある.
ウィーンへの移民(注)が大きな業績を残した例も多い.
そこで本日は「手洗い」の提唱者, 医師センメルヴェイス・イグナーツ (Ignaz Semmelweis )を紹介したい.
センメルヴェイスはSemmelweis Ignác Fülöp.
フュレプはハンガリーの典型的な名前で, ハンガリー人である.
当初, センメルヴェイスはウィーンには学を学びに来たが, 医学に転向した.
1847年ゼンメルワイスはウィーン総合病院の産科クリニックの主任研究員になった.
病院には, 第一産科と第二産科の二つがあった.
第一が第二に較べて圧倒的に死亡率が高く, その悪名から, 妊婦から忌み嫌われていた.
センメルヴェイスはさまざまな仮説を立てては捨て, 第一産科と第二産科を詳細に比較した.
とうとうセンメルヴェイスは「手についた微粒子」という着想を得た.
手についた微粒子 が解剖室から患者に移されているのではないか?
なぜなら, 解剖室と行き来をするのは第一産科のみで, 第二は無関係であったから.
それ以外の違いは無関係だと, 丁寧に一つ一つ実証してきた経緯がある.
手についた微粒子の排除は直ちに 「手洗いの励行」に行き付く.
今日, 医師が手を消毒する当たり前であるが, 当時はそうではなかったのだ.
事実, 手洗いの励行後, 第一産科の死亡率は劇的に改善された.
当時は細菌の概念が広く受け入れられていなかったため, 「手についた微粒子論」
仮説にすぎないと反論することも十分可能である.
また手洗いの励行は, 手術する医師の手が汚いこと, さらには過去の患者の死亡を医師のせいだと
暗に認めるわけである. それゆえ医師仲間から大反対にあう.
他の医師には無視されたり, 否定され, 嘲笑を受けすらした.
センメルヴェイスは病院を追われ, ウィーンの医学界からも追放され, 故郷のブダペストに帰らざるを得なくなった.
逆境の中, センメルヴェイスは ヨーロッパの主要な産科医たちに向け, 彼らを非難する手紙を出した.
しかし, 彼の妻を含む同時代の人々は理解せず, センメルヴェイスが発狂したと彼を精神病院に入れた.
そのわずか14日後, センメルヴェイスは兵隊に暴力を振るわれてできた傷がもとで死去した.
胸に詰まる酷い話である.
私も知らず知らずに将来のスタンダードとなる正しい科学的主張を, これまでの常識で
否定している可能性は大いにあると自覚せねばなるまい.
センメルヴェイスが細菌の確証なしに「手についた微粒子」に至ったのは,
ボルツマンが実験的な確証が無い時代に, 原子論を唱えたことにちょっと似てはいないかな?
ウィーンの同世紀に生きた二人. 生前誤解されていたが,
その後世界のスタンダードになった「微視的な」見方という共通項.
注釈:
私はセンメルヴェイスのことは, 広く知られる前から, しばしば話してきた.
若い人にはかなりの確率でふる話題. (その話題をしなかったのは, おそらく貴方に遠慮したから----)
今日のDoodleとwikiを参照に書いた. 読まれることをお勧めする.
ウィーンは歴史的に 国際都市であり, 誰が本国人であり, 誰が外国人で, 移民であるという境界は ウィーンの地元の方と話すと, 多様な意見があり, 曖昧なようである. ここは今日の論点ではないが一言だけ.
