なまず | Modern Tradition

なまず

忙しい時こそやりたいことが集中するもので、今回はナマズ話でも。
現代でこそナマズを見かけること機会もありませんが、古代神話や寓話に登場するユニークなキャラクターで馴染み深いのではないでしょうか。江戸時代にも…安政2年(1855)のことですが、事情によりナマズが大流行しました。

およそ27万年前から9万年前、阿蘇の大地にて大噴火が度々起こりました。これにより形成されたのが世界最大級のカルデラ、阿蘇カルデラ(熊本)です。カルデラとは、マグマが出た分陥没し凹んだ窪地のことですね。ここに水がたまり、古代には巨大な湖があったのです。想像しがたいかもしれませんので繰り返しますが、これは世界最大級のスケールです。

伝説では、阿蘇大明神(健磐龍命たけいわたつのみこと) が阿蘇を干拓(田園地帯にかえる)なされた時、湖に大鯰が横たわっていたので退いてもらったそうです。これ以降、阿蘇では鯰の精を祭り、阿蘇の地域ではナマズ食べる風習がないそうです。と言っても私も食べたことはありませんが。
で、そんな大鯰いたのか?とお思いでしょう。
いますやん。


やっほー。現代の主だよ。

このような御方が古代のスケールとなると…萌えます。

この時勢、あまり話題にしにくいのですが、鯰と言えば地震との関係が深いことで知られています。古代(江戸時代?)には地震は鯰が起こすと信じられていました。この鯰(地震)を抑えたのがタケミカヅチです。古事記では「建御雷神」日本書紀では「武甕槌」と記されていますので、まぁタケミカヅチで。神秘的でいかめしい「御厳(
ミイカ)」と助詞の「ツ」、神霊を意味する「チ」から成る古代最強位の神です。国譲りの際、諏訪へ逃れた「建御名方神タケミナカタノカミ」をタケミカヅチは屈服するのですが、この力比べで使った技が「霊気之法」であり、これが柔術の基とされています。ちなみにタケミカヅチと言いますと雷を意味するように思えますが、剣との関わり合いが大変深い神です。タケミカヅチの生まれも「十拳の剣(とつかのつるぎ)」に関わりますし、神武天皇に献上された「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」もタケミカヅチのものです。そして時は至り、タケミカヅチが祀られる鹿島神宮の 「鹿島の太刀」で知られる戦国時代の剣聖 「塚原卜伝」が「鹿島新当流」を開くことになるですが、現代でもよく知られる柳生宗厳(柳生新陰流)の師「上泉信綱(新陰流)」が塚原卜伝に師事したと伝えられていることからも最強ぶりが伝わるというものです。鹿島の歴史は大変古く、紀元前660年(神武天皇元年)と伝えられており、ヒミコ(卑弥呼)の時代が3世紀と考えますと、それより千年近く前という計り知れないお話ですね。で、能書きが長くなりましたが、伝説ではタケミカヅチ(鹿島大明神)が鹿島の要石を抑えているから鹿島付近で度々地震は起こるものの大きな被害は受けていないというのです。ナマズと地震との関係性は分かっていませんが、ナマズが電気に敏感であることが知られており、地震の起こる前にはナマズが反応すると言われています。
…ところで日本のナマズ様どこいっちゃったんだろう。

メコン川のダムと生態系
ラオスダム計画延期