何気ない一言だったと思う

悪気はなかったと思う

傷つけようなんてこれっぽっちも思ってなかったと思う


その時の雰囲気とか

ノリとか

酔ってたとか

色んな背景があるから


その時の一言が

切り取られればたとえナイフになっても

それまでの関係性を思えば

ただの何気ないノリ的な一言になる



だけど

背景やこれまでの関係性を考慮したって


「あんたが好きかどうかなんてどーでもいい」


という言葉には傷ついた




はいはい、と聞き流せば

ただの日常の一コマで終わる。



だけど、なんだかこの時は

自分を否定されたような気がして

軽く受け流すことができなかった。



相手が

私の好き嫌いについてどう思うかは自由。

でも、

それを否定する、軽視するような言葉をわざわざ口にしてほしくはなかった。



重ねて言うけれど、

悪意はなかったと思う。

もっと言うならば

なんの意図もなかったと思うけれど。



この一言はすごく悲しい気持ちになった。



無意識のうちにそう口にさせてしまうような

日々の関係性があるのかもしれないから

一方的に相手を責める気持ちはないけれど


それを飲み込んで同じ空間に居続けることができないくらいしんどい気持ちになった。


そんな被害者的な気持ちがすごく大きくなった相手の一言だったけれど

でも、

冷静になってみれば

日常の中で

私もきっと同じようなナイフのような言葉を

投げてしまっていることがあると思う。




相手が何も言わないだけで。




だから今回は自分を振り返って反省して

近いからこそのコミュニケーションの取り方を

考え直そうと思う。




家族は大事だから。












自業自得だから仕方がないけど

信用されてないな

ふとしたときに
疑われる



こちらが悲しかろうが悔しかろうが
それが現実


後悔でいっぱい




コロナで日本が少し混乱している
もはや
命がいつどうなるか
誰にもわからない


だから
後悔で気持ちが落ちようがなんだろうが
自分にやれることを
今のうちにやっておこうと思う


家の中のことを
誰もがわかるように



死に支度などという
悲観的なものではなく
こんな状況だからこそ
前向きに
誰もがやっておいた方がよい

そんな気がする




今日は張り切ってお家ごとを片付けるつもりが
予期しない腹痛と腰痛と背痛に襲われてダウン


思わず心配になってググりまくるも、
5時間経過してようやく鎮静化してきた


歳を取るにつれて
体のあちこちが痛かったりして
気になる話題も流行り物より健康情報

調子が悪いとなにかと不安要素が芋づる式に出てきてしまう




長生きしたいとはあまり思っていないのだが
寝たきりや要介護になって過ごすのは嫌なので
今月から運動を…嫌いだけど取り入れることに決めた


そんなふうに
最近
やたらと未来の願望や想像から逆算された生活をしたいと感じるようになった


若い頃はただ当たり前のように毎日が過ぎていって、その中身をしっかり考えたことなんて正直ほとんどなかった



1人ゆえの気楽さもあったと思う

だけど、本当は
若い頃からそういう生活をしてきたら
きっと今全然違う生活をしていると思う

目標や目的を持って日々の生活に勤しむことの本当の意味を子どもの頃にわかってたらね


いやはやそんなたられば話は何の意味もないことなのだが、これは人生での一つの気づき。




今は家族もいる分
自分の体や人生を大切にすることは家族を大切にすることにもつながると感じる


まずは寝る前のストレッチから…