この文書を読んでいる「おやじ」さんへ、ちょっと質問です。
ご子息の出席番号が何番なのかご存じでしょうか・・・
いきなり難しい質問でしたか?
では、クラスPTA役員はなんという方でしょうか。
これも難問?・・・。
では、担任は何という先生でしょうか。
30数年前の話ですが、娘が小学1年生の「おやじ」になり、初めて参加した盛岡のとある地区PTAの会合を思い出しました。「すみません、間違いました」とあわてて帰ろうとした土曜日午後のその会合には、父親は私1人だけの参加でした。
こういう会合に父親が出ると女性の方は気を遣うのでしょうか、司会進行のような役を仕向けられたり上座に案内されたりします。男性が参加したがらない理由がだんだんわかりましたが、その極めつけはドッジボールの審判講習会でした。約200人ほど参加した父母の中で男は私1人だけ。
共働きなのでしょっちゅう参加するのが目立ったのでしょうか、私は教育熱心な父親、という有名人になりました。
しかしある母親は打ち明けました。「私は土曜勤務を年次休暇で参加したのに、休日の夫は参加しない。うらやましい」いや実は、貧乏共働きで、女房を働かしているだけなのですが・・・
目のやり場に困る美人のお母さん達をじっと観察(?)することで大変勉強した面もあります。たとえば子ども達におやつを配給する時、気の毒なくらい汗を流しすばやく行動し、1秒の遅れが気になるのでしょうか、それともお母さん同士の視線のせいでしょうか、きっちりと奉仕活動していました。
男親ならおそらく、「おまえら、勝手に配れや」と、いい加減に指示するような場面は、ほとんど無いのです。
いったん方針が決まると不測の事態が生じないように懸命に業務遂行をします。そうしたPTA活動は、私には「模範的な型」というものが存在するかのように映りました。
いま思い起こせば、たとえ夫が休日でも会合に母親が年次休暇をとって参加するのも、その型のひとつだったのでしょう。不測の事態は起こらず型通りに物事が進行し、差別的発言ですが、放任しているかのようにして緊急事態が生じたときの男性のとっさの判断を必要とする場面がなかったのです。
PTA行事内容も、歴代の役員からの引継ぎと、学校の方針で定まっている模範的な型があり、その業務をこなすのがPTA役員の活動である、との認識が広まっていたようでした。何をどの程度活動するのか最初から決まっています。ということで、なぜ父親参加が少ないかなど考える必要はなく、毎年同じ業務をいかに公平に遂行するか、具体的に誰にやらせるか、というのが活動の実態でした。
定型業務の実行部隊としてのPTA・・・
こうした状況下での父親の参加は、せいぜい力仕事とか長距離運転などの場面か、父親参観日用にしか役立たないことが、後になってわかったのです。
ところが定型でない突発的な事件、O-157などが発生すると、さすがに父親の出番もあったようです。しかしいつもそのようなダイナミックなテーマがあるわけではないので、静観を決め込んでいたのでしょう。
そういえば「おやじの会」でした。
なぜこれが必要か。
上の体験から推理すると、ひとつは教育の場が大幅に変化しつつあるからです。少子化により、教育現場の物的環境、教師側の指導体制が従来以上に豊かになり、いままでお金がかかるような取り組みも実現可能になっております。その分、父母の協力(というより承認)が必要になってくるものと思います。
これは私の感想で、言い過ぎかもしれませんが、日本の教育の荒廃の最大の原因は、文部省でも日教組でも教員でも子どもでもなく、ずばり、自分の子どもの出席番号すら知らない「オヤジ」のせいです。
おやじが家庭で子どもと話できないのは、仕事の忙しさとか、権威の低下でも女性の発言力向上でもなんでもなく、おやじの「一定の型にはまった無関心さ」が原因であったのでは、と想像するのです。
ですから、たとえ飲み会に化すとしても、「おやじの会」は重要です。
子ども達は猫の目のように変化する社会の価値観や世界の視点を、おやじの口から聞きたがっていると思いますので・・・