料理人リュウジ氏の件、新米社長さんもイジってました。
ほんと、減塩の話は知れば知るほど闇ですねぇ。
加齢で血管が固くなり、身体の隅々まで血を巡らせるために心臓は圧を上げて血を流す。その身体機能自体が免疫機能を守りその時身体ができる最適な生命維持の結果であり”自然”である状態。
どこかで血管が耐えられなくなり、命に係わる自体が起きるならそれが寿命。
血圧を下げ、血をサラサラにする薬を飲みながら体温を下げて免疫低下を招き、癌や感染症のリスクを高める。リスクが発生すればまた身体に負担となる対処療法を次々と投入。
段々身体が言う事を聞かなくなり、食べたいもの・飲みたいものを制限され、それでも「一日でも長く生きていろ」とまるで見えない首輪に繋がれた様に、逃げられないサイクルに落ちて行く。
その先、透析ー>胃ろうー>呼吸器・・・と段々活動量が落ち、最後はベッドの上で天井を見つめる日々に入り、もしかしたら最後は自分に”意識”は無いまま骸になり切れない身体が朽ちるその時まで放置されるのか。
ここまでどっぷり”お世話”になって、医療にはどれだけのカネが動くのか。
結局、現代医療は保険にもつながるところ、「心配商売」の一環だと思って斜に構えて見てる位が丁度良いし、親や周りの老齢の方々を見てきて、私としては思うのです。
かといって「薬は一切飲まずに自然に任せて死ぬ!」とか言いたいわけではありません。
要は、正常な判断が出来る時にしっかり考えて、自分が思う「程度」はどういう所が落としどころか?を認識しておくことが大事だと言いたい。
・最近は若々しい初老も増えているけど、それでも75歳あたりからグッと「老人」になる人は多い。
(行動緩慢、それなりの持病、気力低下、運動量低下)
・40歳迎えたあたりで”活動人生75年”として人生の計を一回しっかりと考えて、その後は3,4年に一度また振り返り考えておく必要があるし、そうする事で「終わり」を意識した生き方が出来る。
・ニュースなど見なくても生きていけるし、何か食べてさえいれば生きていける。より健康であるかどうか?などは遺伝も含め、先の読めない事も多いので”心配し過ぎない思考”の訓練を積んでおくと、大変な時にすり寄ってくるリスクに流されなくて済む。
美味いもん食って、好きな酒飲んで、人より少々早めに倒れるならそれも人生。
年齢に似合わない身体使う趣味持って、ケガしても悔いだけは無い様にやりたい事をやり切るのもまた人生。
リスクを避け、健康を意識し、ゆったりと穏やかに日常を過ごす、それも人生。
でも、意識も無くベッドに縛られ管だらけになり自分で食事も飲めなくなっても”生かされる”、それは「人生」ではないと思っています。
嫁様にも子供たちにも言ってますが、事故にせよ老衰にせよ、有事の際、心臓マッサージや酸素吸入など人為的措置で延命を試みる事は有っても、それを止めたら死ぬとかこの先「植物人間状態」になるとの医師の判断が出た際に、死体状態の身体に管付けて延命する事だけは止めてくれ、と。
75歳過ぎてソレが発生したなら、迷わず息がこと切れるその時を優しく見守って送って欲しいと。
「そうするわー」と冗談めかしく返しあえる、そういう精神状態の時にしっかり意思表示を繰り返しておくことが大事だろう、と思ってます。