日本の「ファクトチェッカー(笑)」あえて「(笑)」を付けて嘲笑気味にしておきます。
「公的機関の通り」「専門家の出す通り」と言いながら、欲しい答えの「ふぁくとちぇっく」を出すために、先にその見解や声明、記事を上げさせて、それらを参照する事で「ファクト(事実)」だとする詭弁方法がまかり通り過ぎて、このロジックを当初から眺めていた自分からすると、ショーも無いちょっとズル賢さを持った連中がいかにも”自分たちは手間暇掛けずにお手軽に楽してやる”感じだろうか、と想像したら笑えてくる。
公的機関が出す情報だから「ファクト」とし、逆に公的機関が認めていないから「フェイク」とする、乱暴な論法でも、他人に判断を任せきりで1ミリもアタマを使わない流され型の人々にとっては「彼らが言うからにはそれがファクトでアッチがフェイクだ」と扇動に乗ってこれまで世論形勢されてきた。
余りにも詭弁が過ぎる。
初期の設定として公的機関が出す情報だから「ファクト」と立てたとして、逆説や警鐘を鳴らす情報が出たとした場合、「ファクトチェッカー」を名のる機関ならば、それら情報についても、学説、論文、実態に照らしての情報を集め、反する側の論拠を一つ一つ反証してみて、否定が出来れば「フェイク」、反証出来ない部分は「ファクト(の可能性)」を謳わねば公平ではない。
流され気質でファクトチェッカーに一任していた人々も、それを暗に期待していたし、今でも信じている人々はファクトチェッカーがその様な公正で正しい活動の中でジャッジを下していると信じている事だろう。
信じる者は救われる?それとも(足元)掬われる?
偶には自分で調べて、考えて、判断(行動)する事も大事かもしれません。