人間は社会集団を形成できる高等(っぽい)生物ではあるが、社会集団を形成する際に要となる人間が必ずしも公正な視点では物事を進めない、というところは様々な史実と照らしても、現代において未だ「進歩の無い幼稚なサル」のままである査証だな、と思う。
混沌とした社会が有る意味”性質的にちょうどいい”のかもしれない。
それは、自分たちにとって公正であろうとするNWO一つとっても、彼らの正義は彼らの犠牲の上で殺されたり減らされたりする大多数側にとってみれば、サイコパスで身勝手な狂信集団でしかない事を見ても、やっている事はこれまでの為政者や支配者同様に「進歩の無い幼稚なサル」でしかないし、彼らが一つの目的を達した先でも、彼らの中でまた利権や支配欲の闘争が始まり、誰かの理想を誰かに押し付けあっているだろう事は想像に容易い。
つまるところ、人間は家族集団、良くて2,30人規模の会社等社会集団までが”ある程度公正でいれる”限界で、そういった小集団ですらマトモには公正に保てない出来ない例も多々あるとなると、そもそも「社会を形成する能力がある」と言っていていいのか?と思うところもある。
ただ、つまるところ、その際組織をおかしくする中心には大抵、”身に余るお金”、”自分の物ではない大金”が絡む事も多い様に思うところ、一部支配層が管理する管理監視社会を作るよりは、その権力のよりどころや一部の人間が支配層たるゆえんの「お金」の価値を思いっきり落とし、人間同士をもっとフラットにする方がまだ、”まともな混沌”になりそうな気はする。
自身は多趣味だし物欲大王であるけれども、他人を騙し、貶めてまで自分の欲を満たして余るほどお金に眩んでは居ないつもりなので、極端な嫌儲では無い認識であるが、思考実験的な考察をしてみると、少なくとも現代に流通している「お金」はちょっと健全なものでは無いのかもしれない、という考えも浮かんでくる。
日本では今、宗教汚染甚だしい政界、天下り口利きだらけの財界と官僚、外患になろうがカネが回ればOKの広告業を中心とした経済界、未来の日本など知ったことかで敵性外国人を招致して町まで作らせてしまう自治体。
新コロを使った社会変革など無くとも十分に壊れまくってる感じもする。
あえて陰謀論的な事を口にすれば、白人社会の上層は大戦を経ての日本に対する認識は「おいしく無くなれば潰す」程度の存在で、NWOの配下で何らかの役割や奴隷的被管理国になる対象ですらなく、CアイA絡みのうわさも多々ある様々な現状はまさに”おとり潰しの真っただ中”に有るのかな?と夢想したりもする。
私にまだ孫は居ないが、子どもたちの将来、未来の子孫が笑って楽しく暮らせる社会が残っている事を願って止まない。