小・音舞語り | とんとんとんドン

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伝統芸能、和楽器、舞台と農業を勉強する「地力塾」での日々。
毎月20日の23時58分頃更新。

 

気がつけばもう、11月も終わり。

来月の幼稚園公演に備えて、2年前に久美ちゃんと演奏したジングルベルの三味線二重奏を思い出そうと、参考になる録音を探していた。

 

そう言えば、練習で撮った映像を小野さんに送ったっけ。

古いメールを掘り返し、2年前の動画を発見した。

「あ〜懐かしい!」と言う気持ちは、「え!こんなの送っちゃってたの!?」と言う焦りに一瞬で変わってしまった。

それはもう、間違いだらけでグチャグチャの演奏でした。

ひゃ〜、三味線の師匠に、こんなのを平気で送っていたなんて、今更ながら恥ずかしくて信じられませんでした。

それなのに、そこに自らの演奏を重ねた合奏の映像を返してくださった小野さん。私たちの動画を見た時、いったいどう思ったのでしょう…トホホ。

 

そんなこんなの最近、お師匠さんから大きな課題をいただきました。

それは10分程の小さな音舞語りを作る事。ストーリーから演目、衣装や演出まで自分で考え、久美ちゃんとお師匠さんに協力してもらいながら、もちろん自分も出演する。

 

久美ちゃんと私のユニット羽化連(うかれ)として、少しづつお仕事をいただける様になってからは自分達で曲をアレンジする機会が増えてきたものの、一から物語や作品を創るのは初めての挑み。

ここ地力塾に来てからは踊りから笛、三味線、琵琶、太鼓など、様々な事に挑戦させて頂いていますが、それらをどう使いたいのか、具体的に考える時期が訪れたのです。

これは、少しづつ仕事が戻り初め忙しい日が増えて来た近頃、それぞれの楽器へのエネルギーの配分に首を傾げていた矢先の提案でした。

もしかしたら作品を作りながら、それぞれの表現を自分の中でどう位置付けたいのかが、見えてくるのかも。と、少し希望を感じました。

 

とは言え、まだどんな物を作りたいのかは、さっぱり、思いついていません。

自分はどんな事がしたいんだろう…

簡単に答えが出て来そうで、意外と何も出てきません。

 

それでも今月初期に続いた和力の公演ツアーの中で、ちょとしたヒントが見つかった気がしました。

それは色々な素晴らしい音色に耳を傾けている中、小野さんの曲弾きの聴かせどころに差し掛かった時でした。

聴く耳をグッと引き込む細かな、繊細な手が高音で続いた後、そのピンと張った緊張感から、フゥ〜〜〜〜〜っと開放してくれる様に、太い、低音へ下がっていった時の脱力感…その力の流れが、民謡歌手のこぶし回しの息遣いと同じ様に聞こえたんです。

「三味線の音も、息遣いなんだ!」「やっぱり、歌から始まってるんだ!」と、今更の発見に袖中でこっそり感激していました。

 

考えてみれば、木村さんの笛も、優しく語りかける様な音色。加藤木さんの口上や語りも、声の質感やテンポがリズミカルで、「しゃべり」なのに歌の様に聞こえる。美子先生の琵琶語りも、歌詞が綴る情景や言葉自体のイントネーションがそのまま節になったり演奏の間を作っている。

それぞれの楽器・表現には違う魅力や力があるけれど、

言葉が音楽になったり、音楽が語ったり、と、楽器も言葉も歌っている、ということが共通していたのです。

 

今はまだどんな作品を作りたいかは分かりませんが、言葉や音を歌の様に活かして、何かを物語れたら良いな、と、そんな気持ちだけは見えてきました。

 

今のところ、舞台に立つと言うことは、正直、恥との共同生活だと感じています。

今の自分の精一杯を出すと同時に、至っていない部分も曝け出しているからです。

終演後には「よし、今日はうまくいった!」と思っていても、自分の演技を振り返った時にはがっかりしたり、こんなにできてない姿を見られてしまった…と恥ずかしく思う事は、毎回あると言っても良いでしょう。

時に今回の「小・音舞語り」の様な初めての挑みは…恥を覚悟での挑戦だと思っています。

 

本当に私に何か創れるのだろうか…という不安が募る今、心の支えになっているのは、小野さんに送った動画を見た久美ちゃんの、あっさり前向きな一言。

「ま、2年もやってれば少しは上達してるでしょ。」

 

「小・音舞語り」でも、そんな2年後を迎えるために…踏まねばならない、恥めの一歩。