最近英語で「4000週間」という本を読んだ。

人の一生を80年とすると一年だいたい50週間あるので掛けて4000週間ということだ。

これは生まれてきたばかりの赤ちゃんに残されて時間であるので、例えば今50才だとしたら1200週間しかない。

60だったら1000週間しかし、これだけの時間が残されているかどうかは誰の人生にも保証されていない。

今この瞬間に生きているという事実しか存在しない。

明日で終わる可能性もあり、この文章を書き終える前に終わる可能性もあり、

生は不確実としか言いようがない。

最近この目の前に存在する今が奇跡の瞬間だとつくづく思う。

今を迎えられるだけで十分僕らは幸せなのである。

生まれてこなければ今がないし、

生まれてきたことも本当に奇跡である。

例えばおじいちゃんがおばあちゃんに出会わなかったらお母さんは生まれてこなかったので

僕らも存在しなかった可能性がある。

こう考えると自分の祖先の家系図を辿れば、だれか一人が欠けていたら自分は生まれてこなかったかもしれない。

こう考えるとすべての出来事が奇跡のまた奇跡である。

どうしてそんな奇跡の奇跡の中で僕らはこうして生まれて

今ここにいるのだろう。

これが今回のテーマではないのでここでは触れないが、

今回は人生の時間について書いてみたいと思う。

 

さて宇宙の時間を考えると人の一生の4000週間なんて本当にあっけないものである。

相当短いともほとんどないともいえる。この短い人の一生の中で何ができるのか。

これが今回のテーマである。

別に何をしなくてもいいのだが、最近の時間管理術みたいのを見ると一日に多くの事をするのが良しというような風潮があり自分としてはこれには物を申したい。

もともと人のないような時間内でやれることなんて宇宙にとってみれば人が何をしようが

そんなのなかったと同じようなものだ。

人生は本当に短い。でも個人の人生を見つめて考えて見よう。

 

夢を叶えるとか目標に向かって生きるのも良い。

でも人類の歴史を見ていくと先史時代の縄文人や石器時代の人類はいったい夢を叶えるとか目標をもつとかしてきたのだろうか。毎日生きることで精一杯だったのではなかろうか。

他の肉食動物から自分の命を守ったり生きていくために食べ物を探したり、生きていくこと時代が目標だったのではないか。

というと夢を持てだとか目標に向かって生きようなんて人類が思うようになったのは人類史の中でつい最近の短い期間に起こった現象なのではないだろうか。そう考えると人類は夢とか目標をもって生きるようにはできてないのではないかと考える。

今まで生きることで精一杯だった人類は最近なって生きる事をほぼ保証されてしまった。

そして今は夢を持つことや目標をもって生きる事を強制されてしまったのだ。

 

僕の考える現代の人生はこの生きる事を保証された時代にこの4000週間を精一杯楽しむというのが僕の考える人の人生の目標だと考える。

 

僕らは本当に良い時代に生まれたと思う。

4000週間を楽しむってどういうことだろう。

次のブログで考えてみよう。