ローディング画面がブラックアウトした瞬間、
ディスプレイの向こう側に疲れた眼をした自分の顔が見える。
もしそれが私の友人だったなら、
今している事は本当に楽しい事なのかと尋ねただろう。
それは事実だ。
だが満たされている訳じゃない。
それでも繰り返す理由も解ってる。
飢えた状態で眼の前に水の注がれたコップを差し出され、
これを飲めば今夜の渇きは気休め程度に癒せるが
オアシスを探しに行く時間は失われる。
この二者択一に前者を毎晩選び続けてるだけだ。
自由な時間を好きに過ごしていた時期は確かにあった。
でもそれはきっと束の間で、
いつしか費やした時間と引き換えに失った物の対価を
得も出来ないと解っていながら気付かない振りをして
醜態を晒す悲劇の主人公が自分の現実なのではないのかと、
ふと想う。
次のゲームが始まり、仲間と言葉を交わせば、
偽りの無い己の笑い声に、直前のマイナス思考が戯言だと信じ込まされる。
そしてまた最初の疑問に戻るのは
偽りさえ無ければ自分の気持ちに素直であると勘違いしているからだ。
嘘を付かなくても、物事は隠し事さえしてしまえば簡単に人を騙す事が出来る。
もっと本気で遊んだ方が良い。
自分に出来る事の範囲を確認する作業で日々を満足できる程
この身体は単純には出来て無かったみたいだ。
下手な絵を描いてはゴミ箱に山を作っていた頃が一番楽しかった気がする。
つまり、楽しみたければ自惚れるなという事だ。
私を訪ねてきた、通りすがりの君にこの言葉を返す。
もう会う事も無さそうだが、元気でな。