ボクが田舎(山形県鶴岡市)で暮していた10代の頃、
青春のほとんどを過した喫茶店『檸檬館』(れもんかん)のマスターが亡くなったのだ。
青春時代の恩師としてもっとも慕っていた人がマスターだった。
マスターとは、美術手帳でも紹介され、国内外で各賞を受賞した
画家であり銅版画家の小松章三氏である。
美術家として各方面から小松先生とか、小松さんと呼ばれていたが、
すでに20年以上前に檸檬館を閉店しているにもかかわらず、
40年前の当時からいまでもボクはマスターと呼んでいた。

檸檬館時代のマスター(小松章三さん)、写真当時30代半ばだと思う。(檸檬館にて)
ボクも写真をはじめる前の当時、油絵などを描いていたが、
絵画をマスターから教わったという直接的な関係はなかったものの、
檸檬館の存在そのものが、10代のボクにとても大きな影響を与えた。
檸檬館に通いはじめていろんな仲間と出会い、いろんな思想に触れ、
このままの自分でいけないと考えるようになった。
世間に流されずに自分の生き方を全うするマスターの元に多くの若者が集まった。
ウッドストック、ヒッピー、フォークソング、ベトナム戦争、イチゴ白書…
そんな固有名詞が若者の言葉から多く発せられる時代だった。
檸檬館で仲間と集って歌を唄い、バンド活動もやったし、コンサートも開いた。
ボクの青春の半分はバイクで、残りの半分は檸檬館だった。
東京に上京してからも、たまに帰省し鶴岡駅に着くと、
その足で最初に向かうところは実家ではなく檸檬館だった。
帰省の楽しみは実家に帰ることではなく、
檸檬館に行ってマスターや檸檬館仲間に会うことだった。

マスターの銅版画作品。
左から86年作品 卵形図(1)、95年作品 インタリオOblong、02年作品 oval(A)
今年の3月、マスターが東京・銀座のシロタ画廊で個展を開いた。
大震災の後だったので運送会社が休業していたため、
鶴岡から(東京まで約480キロ)タクシーに作品を積んで、
マスターひとりで上京し個展を開催した。
それが最後の個展になるとはマスターも思ってもいたかっただろう。
奥さんの話では
「3月の個展は運送会社も動いていないから中止にしたらと言ったけど、
いや絶対にやる。これはチャンスなんだからやめるわけにはいかない…と言って…」
マスターは決行したのだという。
しかし、無理がたたったのか、個展初日にホテルから聖路加病院に
緊急搬送されるアクシデントも起こったが、
いまとなれば無理しても個展をやってよかったと奥さんもボクもそう思っている。
ボクら以上にマスターが「やってよかった」と思っているに違いない。
マスターとは、この個展で会って写真を撮ったのが最後となったが、
マスターから届いた写真のお礼のハガキが、マスターの最後の言葉となった。


3月21日から26日まで東京・銀座シロタ画像で開催された小松章三展に出品された作品。
最後の小松章三展となった。

シロタ画像でマスターと再会した。この再会が最後になるとは…。
左からボク、マスター(小松章三さん・74歳)、マスターの妹さん、マスターの奥さん。
「みなさんに『ありがとう』も『さよなら』も言わずに逝ってしまった主人ですが、
最後にお前からお礼を言ってくれといわれたようです。
主人に代って、本当にありがとうございました」
葬儀の最後にか細い声で挨拶する奥さんの言葉が目頭を熱くさせた。
さようなら、マスター。

6月24日の通夜と25日の告別式に参列した方へ渡されたお礼状からは
マスターに対する奥さんの愛情が感じられた。

マスターの葬儀には檸檬館仲間も参列。
20~30年振りで会う当時の仲間らと久々に酒を交わした。
あまりにも変って誰か分からなかったが、仲間はボクをすぐに分かってくれた。

久々の帰省だったので、しばらく会っていなかった母親(90歳)に会ってきた。
週3回通っているデイサービスの施設で元気そうにしている姿を見て安心した。