湯木貞一・辻静雄『吉兆料理花伝』 | pontaの街場放浪記

pontaの街場放浪記

さすらいの街場詩人pontaのライフスタイル備忘録です。
2012年に広島のリージョナル情報誌『旬遊 HIROSHIMA』のWebページでコラムを連載しました。その過去ログもこちらへ転載しています。

pontaの「書斎」放浪記-吉兆料理花伝


本著は現在、残念ながら版元で品切になっているが、日本料理人のみならず、飲食業に携わる者なら、いや、料理を愛する者なら、ぜひとも入手し、熟読玩味して欲しい名著である。

『吉兆料理花伝』は、1983年に新潮社より刊行された。
本著は、「吉兆」の創業者・湯木貞一による日本料理についての話を、「辻調理師専門学校」理事長・辻静雄がインタビューするという構成である。
また、写真家・入江泰吉による「吉兆」の四季の料理写真が掲載されていて、「吉兆」の盛り付けの見事さが誰にでも理解できるようになっている。

当時「吉兆」は、1979年に東京サミットの昼食会の料理を担当するなど、日本を代表する日本料理店としての地位を確固としつつある時期にあった。
また「辻調理師専門学校」は、テレビ番組『料理天国』(TBS系)に同校の専任教授が出演し、その存在が注目されていた。

湯木貞一は、当時82歳。
対する辻静雄は、50歳。

若き日よりフランス料理の神髄を極めるため、頻繁に渡仏し、現地でマダム・ポワンやポール・ボキューズが提供する一流の料理を食べ続けてきた、辻静雄。
そんな彼が、後年「吉兆」で一流の日本料理の醍醐味を知り、師であると共に父のように慕い続けたという。

では、日本料理の醍醐味とは何か?
詳しくは本著を熟読して欲しいが、最も重要なポイントは「季節感」であると思う。
湯木貞一の実家は神戸の日本料理店であったため、彼も16歳から板前修業を始めた。
彼の転機は25歳の時。
実家の料理店に修業に来ていた板前から薦められた一冊の本が、きっかけである。
その本は、松平治郷『茶会記』。
松平治郷は、松江藩主としてよりも、むしろ雅号の「不昧」にて広く知られる、江戸時代を代表する茶人の一人である。

 「日本料理には『旬』という考え方があって、自然に季節にマッチしているものですが、『茶会記』を読んでからは季節を自分から意識して料理するようになりました。ほんとうに目からうろこが落ちるほど感激しました。料理を作る楽しさが急に拡がったんですね。毎日の料理に気迫が入りました」(53頁)

30歳で大阪にて「吉兆」を開店。初めはカウンターとテーブルのみの「御鯛茶處」だったが、後年は日本を代表する日本料理店にまで発展した。
湯木貞一は「吉兆」の料理において、旬の素材の用い方はもちろんのこと、器、しつらえなども含め、総合的に季節感を表現した料理世界を、生涯極め続けた。
とはいえ「吉兆」の料理世界は、湯木貞一の孤独な追及によって極められたものではない。
「吉兆」に通った茶人や旦那衆の「厳しい」指導や助言が、湯木貞一の審美眼をますます研ぎ澄ませていったのだ。

そんな湯木貞一により、一流の日本料理を知った辻静雄。
二人の交流が浅薄なものではないことの証として、湯木貞一は辻静雄と共に数回渡仏し、マダム・ポワンやポール・ボキューズの料理を味わったことがあげられる。
「吉兆」のキャッチフレーズは「世界之名物 日本料理」というものだが、渡仏により西洋料理の素晴らしさを知った上で、なお日本料理の独自性を強く再認識したに違いない。

 「日本の料理が、食器や床飾り、たたずまいを含めてこれだけ細やかに仕上げられてきたのは、やはりお茶事があったからだと思いますね。ですから完成された日本料理は『世界之名物』だと感得したんです。その意味で私ども日本人の食生活は茶道を通じて芸術にもつながっていると言えましょうね」(87頁)

日本料理(だけでない)が、単に「旨い」「まずい」だけの次元で語られるだけだと、それほど面白くない。
話は脱線するが、僕にとって「毒舌」で有名なグルメブロガーや「食べログ」ユーザーのコメントがそれほど面白くないのは、極めて主観的で感覚的な価値観である「旨い」「まずい」を、あたかも普遍的なものであるように「捏造」して語るからである。

もちろん「旨い」「まずい」という素朴な判断基準も重要だ。そこから始めなければ、料理について語ることができないからだ。がしかし、味覚と同様に、器やしつらえも含めた総合的な美意識を楽しめるか?料理に込められた「季節感」をどれだけ鋭敏に感じることができるか?そして、同席の客と思いをどれくらい共有することができるか?

「吉兆」の旗艦店である「高麗橋吉兆」や「京都吉兆 嵐山本店」のような一流の日本料理店は、そんな複雑微妙な楽しみを感じることができる「大人のワンダーランド」だと思う。
僕自身「大人のワンダーランド」を十全に味わい尽くせる美意識を持っているとは、到底思えないが。

最後に。湯木貞一の祖父は、広島県の矢野出身。
牡蠣船を仕立て、10月頃になると関西方面に向かったという。
明治、大正時代は大阪、神戸、京都などでは、川のたもとに停泊した牡蠣船の姿がよく見られたという。
湯木貞一の父の代になり、牡蠣船が台風に逢い被害を受けるため、神戸の日本料理店に修業に入った後、暖簾分けして料理屋を起こしたという。
「吉兆」は関西発祥の料理店ではあるが、湯木貞一の祖父の代までは広島人だったのだ。
遠い存在だった「吉兆」が、僕たちと近い存在に思えるようなエピソードではないだろうか。