部屋の片付けをしていた。
実父の死で初めて体験した、当時の相続の資料が出てきた。
介護明細や裁判のやり取りやら
戸籍、家族とのやり取り
診断書や死因の詳細なんかが出てきた
私は弁護士などを仲介せずに、全てググって正式な資料を含め一切合切をPCと専門家の事例集を参考にし、完全に独りでやり切った。
これは社会勉強だという認識と、1円でも多く、実妹に渡したいという思いからの行動であった。
今でも誇れる事柄のひとつでもある。
話を戻して..
全て自分で作成した筈なのに、さっき見るまでは完全に忘れていた事ばかり。
その中で衝撃を受ける、ひとつの文言
「享年67歳」
私は...
それを見るまで私の実父の享年を
「69歳」だと思い込んでいた。
私は
永い介護の末、看取った実父より1日でも永く生きる事を目標にしていた。
これは漠然と決めた目標で
「散々苦労させられた。理不尽の塊の様な人だった。私は必ずこの人より幸せな最期を迎えてみせる」
という信念に基く決意だった。
それが、部屋の片付けの最中で見付けたこの文言ひとつで一気に2年も縮まったのだ。
それにしても... 何故に私は享年69だと思い込んでいたのだろう?
振り返ってみると
当時の私は、ろくすっぽ世話にもなっていないのに誰からも見放されて最終的に長男である私のところに転がり込んできて更には若年性アルツハイマーの症状に犯された実父の介護まで「やらざるおえなかった」事で疲弊していた。
疲弊していただけでなく、私自身もおかしくなっていたのだろうと今にして思う。 何度か他人にその怒りの矛先を向けた事もあったが、独りで抱え込む内におかしくなっていたんだなっと今にして心が傷んだ。
そう考えると...
全くの別件で早期退職に舵をきり、日々、動き出している今の現状が悪くない様に再度、思えてくる。
何しろ2年も縮まった目標ならば、現時点でのやりようで余裕な気がするからだ。
乱雑に書き残すだけならば簡単だが、理路整然と詳しくとなると時間も必要。 ここで文字にしておくことで心の整理を図っているが...
違う目標のために積み重ねてきたことが結果的に「今の目標」の実現のために成っている。
今までもそうしてきた。
私は何処ででも上手くやって行ける自信がある。
私にならば出来る。
そう自分を鼓舞して本気でやってみて良かろうなんじゃないかと思えた
「勘違い」
であった。
(´-`)oOpen
































