ある日の帰り道。改札を出たところで美容液のサンプルをもらった。
「乾燥した肌にうるおいを、日々の疲れを労わろう」
そんな言葉と共に美容液が入った小さな袋がついていた。私はその場で開けると手や首筋に塗ってみた。
確かにうるおいが増し、肌が柔らかくなったような感覚があった。
でもその日の私は疲れていた。さっき夕日が電車から見えた。いつもなら綺麗だなんて思って癒されるのに、その日の私はただただ夕日をぼーっと見つめていた。
心の美容液・・・あったらいいのに・・・
そんなことを思った。乾燥しているのは私の心。日々のストレス、疲れが積み重なって・・・でもそれは私だけじゃない、だから頑張らないと、私だけがくじけるわけにはいかない・・・そんな日々に心は憔悴しきっていた。
駅前の美味しいパフェも、その先にある商店街にあるペットショップの子猫の仕草も、その日の私の心には響かなかった。
苦しくて、悲しくて、それなのに泣くこともできなくて、頑張ろうと思えば思うほど頑張れない自分が意識されていく。
ため息をつくことすら許されないんじゃないか・・・そんな気持ちが浮かんでくるのをぼーっと見つめることしかできないでいた。
数週間が経ち、私は上司に進められた病院に行き、仕事をしばらく休むようにと言われた。上司からは「気にしないでゆっくり休んで回復して」と温かい言葉があったが、そんな上司への申し訳なさとだめな自分への絶望感が私の乾燥した心を打ち砕く・・・。
何かしないといけないのに、私の体はいうことをきかず、目はただただ天井を眺めていた。そんな自分が悔しく、心がただただ焦っていた。
それでも病院に通ううちに少しずつ休むことができたのか、気持ちが少しだけ落ち着いてきた。それでも心の乾燥はとまらない。かえって頑張れない自分を意識してしまい、今頃頑張っているであろう同僚たちが頭に浮かんで離れなくなる。
病院の帰り道、私は駅のベンチに座って、道行く人をぼーっと眺めていた。スーツ姿の人たちが携帯電話を片手に忙しそうに歩きまわる。私もあそこにいたはずなのに、今は全く別な世界にいるように感じた。
もう…どうしたらいいかわからないよ…。
私はそんなことをふと思ってしまった。
そんな時、私の袖をひっぱる1人の女の子に気付いた。どこかで見たことのあるような懐かしいような不思議な女の子。
その女の子は何も言わずにただただ私の顔を心配そうにのぞき込んでいた。
その女の子と目があったとたん、私の目から今まで出ることの無かった涙が溢れた。
頑張ってないのに私が泣くなんて・・・
そんなことを思ったがそれでも涙は止まらなかった。女の子は袖をつかんだまま、そんな私のそばにずっといてくれた。
少し時間が経ってようやく涙がおさまってきた時、女の子は黙って私の足元を指さした。そこには、一輪のタンポポが咲いていた。決して大きくはなく立派でもない。葉っぱの端っこは誰かに踏まれたのかちぎれてしまっていた。それでも頭を上に伸ばそうと必死に咲いているタンポポ。周りにタンポポはない。ただここに一輪だけ・・・。
ああ、このタンポポは私と同じなんだ。光が届かないところで光を求めて背伸びをして・・・そして、傷ついて・・・。
顔を上げると女の子はもういなかった。周りを見回してもどこにもいない。
私はタンポポにもう一度視線を戻した。タンポポはそれまで孤独だった私に、「わたしもいるよ」と話しかけてくれているようだった。
私はタンポポを摘もうとした。でもこのタンポポはここで頑張っている。そう思いなおすと、
「ありがとう」
私はタンポポにそう声をかけ立ち上がった。
「綿毛をいっぱい空に飛ばせたらいいね」
なぜかタンポポに女の子の顔が重なり、にこっと微笑んだ気がした。
私は・・・わからないけど、でもタンポポが綿毛を飛ばす日に、ここですこしでも微笑むことができたらいいな。
そんなことを思い、今までよりも少しだけ潤ったような気がする気持ちと共に、ゆっくりと家路につくのであった。
20251104