最終ベルが鳴る2 | Commentarii de AKB Ameba版

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AKBとかその周辺とか

 今回で16回めのシアター。もちろん当選は嬉しいけれど、最初の頃のような天にも昇るような感動はないだろう。

 

 そりゃそうだ。今から思えば、あれは僕にとって何度か目の恋のはじまりだったんだ。不特定多数の彼女たちへの恋愛。もしくは彼女たちによって織りなされる物語りに対する愛おしさ。

 AKBに関連のあるものだったら、何でも知りたかった。どんな短い動画だって見たかった。手に入る全てのDVDを手に入れた。

   そう 愛しさとは

   そのすべて/知りたくなることさ

君について

 その後、AKBはどんどん大きくなり、気がついたら後を追っていた僕はもう息が上がってしまっていた。曲のひとつひとつについて感じたことを綴っていたこの記録を書くことも、稀になっていた。

 たまに書くのは、シアターに来た時くらいになった。

 それも、来られればいい、というのではなくて、出来れば真ん中の方で、なるべくは前の方の椅子に座って見たいよね、というゼイタクを望むようになっていた。

 人は望むものを手に入れると、さらに多くを望むようになる。多くが手に入るほど、「それ」の貴重さが見えなくなって、それを手にするときめきは消えていく。

 

 ときめきを失った恋は、もう恋では無い。

 なに、嘆くことはない。極めて散文的なそれは、フツウのダンジョ関係ってヤツだ。実生活でよく知ってるだろ?

 

 

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 抽選前には、毎回一巡で呼ばれる予感がする。何となく判る。

 もちろん予感でしかないのだけれど。そしてそれは毎回外れるのだけれど。

 一巡で呼ばれないと、じゃあ二巡かな、と考える。呼ばれないと、じゃあ次だな、と考える。

 「おいおい今日は『優勝』か」とため息混じりのつぶやきが聞こえることがあるが、そんなことを思ったことは一度もない。我ながらビックリするほどの楽観主義だと思う。

 それでもこの日、僕のラインは十巡を過ぎても呼ばれなかった。さすがにもう椅子には座れない。それどころかちゃんとした視界が確保されるかどうか。体調を考えたら何だか帰りたい気持ちにも、少しだけなった。

 

 やっと呼ばれて久しぶりの立ち見。それでもセンター3列目は上出来。

 そういやイチバン最初のシアターもこの辺だった。あっちゃんはいないものの、フルメンバーに近いA6「目撃者」。あれはもう4年も前のことだ。

 シュプレヒコールと銃声の後、訳もなく涙が溢れだしたのは、恋する彼女(たち)にやっと会えたからだった。そう言えば名も知らぬ研究生だった相笠に会ったのもこの場所だった。

 やれやれ、あんな感動はもう無いのかも知れない。

 それよりなにがしかの情熱を持ってこの記録を書くモチベーションが生まれるだろうか。立ち見だってのに。

 

 ウエストミンスターベル、影アナは茂木ちゃん。オバチャ、タイガーファイアー、型どおりのはじまりだ。ちょっと足腰がつらいけど、まあまあ楽しみましょ。

 

 そんなはじまりのはずだった。

 狭い空間だが僕の斜め前のおじさん(失礼! 僕よりは若いかも知れないが)が、小さいけれど、丁寧で的確なフリコピをしていた。むむ。タダ者ではないな。きっと古参に違いない。

 それを見て僕も小さな小さな指先だけのフリコピをはじめた。

 そう。そうそう。そうだ。

 

 風邪気味のせいだったのか、昨日の麻酔が残っていたせいだったのか。「最終ベル」の半ばあたりで鼻の奥の方がつーんとした。

「ボーイフレンドの作り方」のあたりで僕は涙を流していた。

 

 みぃちゃんがいる。相笠がいる。彩希さんがいる。ちぃちゃんがいる。藤田がいる。みんながいる。すぐそこに彼女たちがいて、最初の時と同じように、笑って歌って踊っている。

 

 ただそれだけのこと。

 ただそれでけのことが胸の奥に迫って、僕の涙が止まらなくなった。

 

 僕の彼女たちへの恋は、確かに終わっていた。

 でも彼女たちは、ここで待っていた。

 4年の間、とてもたくさんのことが変わったというのに、まるで何も変わっていないかのように、ここで僕を待っていた。

 

 

 麻酔のせいだ。

 いや、シアターに充満する魔法の粉のせいだってば。