春が来るまで2 | Commentarii de AKB Ameba版

Commentarii de AKB Ameba版

AKBとかその周辺とか

words
video
Tags:片思い、冬、school days

 雪が降った翌日。空はすっかり晴れていて、街はきらきら光る雪景色に覆われている。
 風はまだ冷たいけれど、春までもう少し、そんな晩冬の朝のお話。

 ちなみに「ただいま 恋愛中」公演には、3曲「冬の歌」がある。
 モトカノと真冬の海を見に行く「Only today」、雪の朝の通学路の情景である「春が来るまで」、冬の夜空に輝くオリオン座を見上げた「君が教えてくれた」。
 そういや「7時12分」も、衣装は、もこもこの冬支度に見えるかもね。

 オリジナルの「ただいま 恋愛中」(間にスペースが入るのが正しい表記みたい)公演がはじまったのは2007年2月。春近きとは言え、冬を運び出すにしては小さすぎる舟の2月。
 これは先日亡くなった吉野弘先生のお言葉。
 今から30年以上も前、僕が中学生の時書いた手紙に、吉野先生は丁寧なお返事を下さいました。
 合掌。

 おっと脇に逸れた。

 歌の主人公は、クラスメイトにひそかな恋をしている。
 もうすぐお別れの時期なのに、その思いを伝えられない。
 
 こういうシチュエーションの片思い、AKBの初期の曲にはたくさんありました。
 たとえばA1「PARTY」公演の「クラスメイト」。

   クラスメイト/今は友達
   だけど 誰より気になるの

 またはK3「脳パラ」公演の「片思いの卒業式」。

   目の前にいるのに/あなたは気づいていません
   こんなに大好きなこと/少しもわかっていません

 AKBっていうとポジティブな曲の印象が強いけど、こういう「告白できない」気弱な心持ちをすくい取るのも得意。
 というか、むしろ「非モテ」「非リア充」のキモチの方が、秋元先生はよくわかるんじゃないすかね。

 さて、この歌詞。

 ちょっと聞いただけではわかりにくいところがあります。

   春がやってくるまで/消えないで
   隠したこの愛しさ

 「消えないで」と願っている対象はなに?
 最初ここだけ聞いたときは、それは主人公が抱いている「愛しさ」の感情のことなのかと思っちゃいました。自分の気持ちに対して、消えないでって、え、何それって。

 でもそうじゃないのね。
 曲を通しで聞いてみるとわかる。消えないでって願っているのは、

   春がやってくるまで/残ってて
   思いが降り積もる/恋の雪

 昨夜降った「雪」なのね。
 なんで「消えないで」「残ってて」と願うかというと、雪が「愛しさ」を隠してくれている、という設定になっている。「愛しく思っているその気持ちを」隠している「雪」に対して、「春が来るまで消えないで」と願っている、と。

 昨日降った雪が街のいろんなものを隠しているように、このまま消えずに私の恋心も隠し続けほしい、春が来るまで。
 まるで和歌の解釈のようでもありますが、そんな気持ちを歌った曲でした。
 
 わかりにくかった理由のひとつは、この曲のテーマアイテムである「雪」について、「いろんなものを隠すように、私の恋心をも隠す雪」って歌ってるのと同じところで「降り積もる恋の雪」って言っちゃってるんです。
 つまり「恋心を隠すもの」としての雪と、「積もっていく恋心のメタファー」としての雪がひとつの曲の中で混在してる。

 「雪」が「恋心を隠すもの」であるかと思えば「恋心そのもの」でもある。だもんでわかりにくかった。
 これは秋元先生の筆がちょっととっ散らかってたと言うべきでしょうね。

 まあ、とにかくどういう事情なのかはわからないけれど、この子は「あなた」に告白することはおろか、「あなた」を愛しく思っていることすらもばれてしまっていけない。

 でもその一方で、「あなた」が自分の気持ちに気づいてくれることをひそかに願ってもいる。

 えー、矛盾じゃん。ばれちゃまずいのに気づいてもらいたいってどうゆうことよ。
 なんて言っちゃいけません。ばれちゃまずい、でも気づいてもらいたいという矛盾こそ、自分ではどうすることも出来ない恋の本質なんですから。

 でもどうして気持ちを伝えられないんだろうね。
 その理由について、想像はいろいろ膨らみます。

 たとえば、「あなた」は親友の恋人だったのかも知れません。
 たとえば、「あなた」ってのが主人公と同性だったのかも知れません(女の子どうしまたは男の子どうし。前者の方が「萌え」ですけどね)。
 またはただ単にずっと幼なじみで過ごしていて、今さら「好き」だなんて言い出せないって思い込んでいるだけなのかも知れません。
 
 事情はわからないけれど、たいていは大人が忘れてしまった大したことのない理由なんでしょう。
 
 でもね、理由は忘れてしまってもそれにともなう「痛み」は(というより「痛み」があったという記憶は)、おっさんになっても思い出すことができるものです。
 秋元先生もそうだぜきっと。

 それにしても、思いを打ち明けようとせず「春がやって来るまで」このままでいたい、という主人公の願いを聞いていると、僕はこれもまた切なく美しいアリアを思い出します。

 それは、僕がイチバン好きなオペラ、「ラ・ボエーム」、その第3幕の4重唱「さらば甘い目覚めよ」。