禁じられた2人5 | Commentarii de AKB Ameba版

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Tags:B1、恋

 ええええー、「禁2」でまだ語るの-?
 すいません。そうなんです。
 この曲を聞いて、いろんなことを考えてしまったので。

 この曲は女性同性愛、俗にいう「百合」の世界が歌われている。「百合」ゆえの悲恋(と恐らくは心中)。

 秋元康があえて「百合」の歌を書いた理由は詳かにしないが、少なくとも客はそれを好意を持って受け入れた。残念ながらAX2011では圏外となってしまったが、「青春ガールズ」公演がNMBによってリバイバル上演されたAX2012での返り咲きも期待できる(見てみたい)。

 「禁じられた2人2」で書きかけたのだが、人々がこの曲を見たがる背景には、同性愛に対する好奇心があるのは間違いない。

ぶっちゃけて言うと、「ノンケもホモは好き」。ヘテロセクシュアルの人もホモセクシュアル(女性同性愛も含む)が気になって仕方ないのだ(それは時に当事者にとって迷惑なことでもあろう。ホモフィリアとホモフォビアはコインの裏表のようでもある)。

 ホモフィリアとは、ここでは「自分性的指向は異性愛であるが、同性愛に対する肯定的な関心が強い人」くらいの意味である。
 まあ典型的には801板の住人の皆様ですよね。

 男性同性愛を偏愛する女子(腐女子←つーか一発で変換してるんじゃねえよATOK)と「禁2」に萌えるヲタというのは、よく似た構造と考えていいだろう(否定する当事者は圧倒的に多いと思われるが)。

 ところでAKBが女性同性愛に親和性の高い環境の集団である、と以前書いたが、少なくとも実際に「女性同性愛」を公言しているメンバーはいない(まあいてもするわけないけど)。
 そういう「非百合」メンバーが入れ替わり立ち替わり「百合」を演じ、ホモフィリックな聴衆がそれに喝采を送っている状況について、ホントの「百合」の人はどう感じているのだろうか。
 
 「百合」ではないが、「百合」っぽい言動をすることによって「百合好き(ホモフィリア)」層の支持を得ようとすることを「百合営業」というらしい。まあソースがソースだけに、記事の信憑性が不確かなのは確かなのだが、そういう言葉あるのは事実だし、言葉のニュアンスはわかる。
 発信者も消費者もヘテロセクシャルである「百合」。

 そこには流通しやすいような加工(誇張された戯画化や悲劇化)が行われている。
 「ノンケもホモは好き」なのだが、それは「ノンケ向けに味付けされたホモ」である必要がある。あまり濃い味だと、一般向けに売れる商品にならない。

 たとえば、女性同性愛をカミングアウトしたアイドル同士が「禁2」を歌ったら、それを見たヘテロの客は心置きなく「ヒューヒュー」って言えるかということ。
 たぶん言いづらいよねえ。ちょっとシリアスになりすぎちゃうもんねえ。聞いてる方は「これってフィクションでしょ」という前提があるから気楽に楽しむことが出来る。

 そういう薄まった「百合」、ステレオタイプな修飾がされた「百合」を、ホントの「百合」の人はどう思うのだろうか。

 嫌悪感とかを抱くことはないのだろうか。

 で、「禁2」にも「百合営業」の匂いが少しするのは事実である。好きな曲だけに、気になるところ。
 
 もっとも秋元康の場合、「え、営業ですがそれが何か」とあっさり言いそうだよね。

 何しろAKBは「恋愛禁止」が建前なのに、歌ってるのは恋の歌ばっかり。これだって「営業」には違いないよね。一方で恋愛の当事者は「オトコ・オンナ・ゲイ」がデフォルトなんだって秋元は初手っから言い切っているのだから、「恋愛してない(建前の)メンバーによる恋愛の歌」と同じように「百合ではないメンバーの百合の歌」があるのは、当然っちゃ当然。
 
 フツーではない、と思い込まれていたことが、フツーになるということ(ノーマライズ)とはこういうことなのかもしれないなあ、と思ったりもして。
 だとしたら、もう少しAKBの「百合」の歌を聴いてみたい気がする。