私の父は、私が高校1年の秋、肺がんで亡くなった。
高校入学した春に、母から病院で聞かされ、わずか半年の闘病生活。
当時は本人に告知どころか、妻である母にも告知しない。
父と母のそれぞれの兄達が、担当医から知らされるという
母は、病院でそれぞれの兄達を見かけ、只ならない事が起きていると悟ったらしい。
昭和の時代は、こんなに大事な事を本人や妻より先に兄達に伝えたのか。
プライバシーもへったくれもない。
どんな仕組みよ。
肺は手術で、転移した脳は放射線治療。
手術の傷跡は首からみぞおちまで。
父親は平気で高校生の私に見せる
脳の方は、髪の毛が抜け落ちてから知ったけど、頭に油性ペンで直に照射部分の印を付けられていた。
昭和はいろんな意味で、デリカシーが無さ過ぎるよね。
仕事仲間と草野球をしていた父親は、日に焼けていて、体つきもガッチリしていた。
ガンになってからは、恐ろしい速さで痩せていった。
1回だけ父は、家に帰って来た。
2階の自分の部屋で横になろうと、階段を上ってみたけど、3段上がったところで無理だと気付き、下の部屋の仏間で寝ることになった。
ついこの間まで、あんなに元気だったのに、何でよ。
階段が上れないなんて。
私より、父自身の方が強く感じたんだろうな。
父は運転することが好きだった。
車庫にとまっている車の運転席に座ってハンドルを握っている姿を見かけた。
私は見ちゃいけない姿を見てしまった気持ちだった。
声が掛けられず、思わず隠れてしまった。
後から私の妹から聞いた話もある。
ステテコの前を赤くしてトイレから出て来た姿を妹は見たらしい。
その時、父は妹に
「誰にも言うな」
っと言われたんだよね~って。
父は、やっとの思いで家に帰ってはみたけど、もう無理だと悟ったようだった。
一泊で病院へ戻って行った。
それから暫くして、危篤状態に。
日曜日だった。
ナースステーションから近い個室の部屋に、先に来ていた親戚。
父の横には母が。
私と当時中学2年生の妹は、親戚に背中を押されて、母の隣へ。
全く反応のない父。
ドラマで見たことのある、機械が父の枕元に。
心電図の弱っていく波形が直線になった。
母は崩れ落ち、親戚は泣きながら父の名前を呼ぶ。
私は耐えられず、部屋から飛び出してしまった。
私は子供の頃、母は嫌がっていたけど、父からいろんな遊びを教えてもらった。
釣り、麻雀、花札、パチンコ。
今でも気に入ってる一つに「指笛」がある。
けっこう自在に吹ける。
盛り上がったとき、盛り上げるとき、応援のとき、指笛を鳴らせる。
コロナ前、私の勤めている介護施設に、沖縄音楽のボランティアさんが来た時、合いの手で指笛をしたことも。
めっちゃ楽しい🎶
もちろん父は、普通の遊びもたくさん教えてくれた。
体を動かす事が好きな私と妹は、父のおかげで運動神経は抜群に。
父が亡くなり、大人になってから母によく、私はやることが父に似てると言われる。
付き合う男の人の理想も、どこか父親の面影を追っていたかも知れない。
結婚相手のダンナは・・・。
1つも似てないけどね
膵臓がんと知ってから、もうすぐ5年。
父の時代と違う。
本人への告知。
医師と患者の関係性。
治療法。
さまざまな選択ができること。
終末期。
だけどこれから先の考えたくない事の辛さは、変わらないと思う。
がんばれよ、あんたと私💪