裁判員制度に対して反対①

裁判員制度の問題点は、その導入目的とその結果にあると考える。

導入目的は最高裁裁判所のHPによると“裁判が身近で分かりやすいものとなり,司法に対する国民のみなさんの信頼の向上につながる”とされている。

裁判員制度の目的の司法に対する信頼向上とは、国民の持つ日常感覚や常識といったものを司法に反映することで、より市民の感覚に近い判決を下すことで司法に対する国民の理解の増進につながるということである。

裁判員は、無作為に衆議院選挙の選挙権を持つ国民から選ばれる。

よって多くの裁判員は法律に精通した知識のない人々である。

すると必然的に量刑などの基準は、先述で言う“日常感覚や常識”といったもの、つまり各々の感情に起因すると考えられる。

よって裁判員制度では以前より主に被害者(加害者の場合もある)の感情を加味した判決が出る傾向が強まると考えられる。

そこから考えられるのが、裁判員による裁判では法律や判例よりも感情に基づいた判決がなされ、法の下の平等が侵される可能性が高いということである。

裁判員制度の導入によって、被害者・遺族の感情を重視する傾向が強まり、厳罰化が進んだと言われる。(根拠がないので打ち消し線にしておきました。)

平成22年11月16日に横浜地裁で行われた裁判員裁判では死刑判決を下したが、判決を言い渡す際に裁判長が被告に対して控訴を促した。

これは裁判員の心理的負担を裁判長の配慮であった。

しかし、単純にこの裁判長の行った行為は自らの判決よりも上位裁判所の判決を仰ぐことであり、それは司法の独立を侵した行為である。

加えて、自己の判決に責任を持たないということは、国民に対しても、判決を受けた被告に対しても、司法の信頼を損ねる忌々しきことである。

同時に、これは導入目的の一つである“司法に対する信頼の向上”に反した結果でもある。

更に注目すべきことは、裁判長は被告の司法への信頼よりも裁判員の心理的負担の軽減を優先したということである。

誰が裁判の中心かを考えれば、この行為が極めて矛盾した行為であることは明白である。

これに加えて「裁判が身近で分かりやすいものになる」に関して、確かにこの目的は裁判員制度を導入することによって達成出来得るものであると考えられる。

この制度の賛成意見に「良い経験になった。」など、裁判員を経験した人の感想が挙げて、この目的を果たせているというものがある。

しかし、刑事裁判とはその「良い経験」を国民が享受するためのものなのではなく、当事者達が納得の出来る判決を出す場であるはずだ。

更に被告の人生は判決で身体の自由を始めとする多数の人権の制限を受けるにも関わらず、国民に対してのわかりやすさを求めて簡略化すべきことであろうか。

裁判員制度は、実際に経験した人からは良い感想が聞かれることもあるが、多かれ少なかれ被告や被害者といった当事者達に司法への不信を与えている。

以上が私の裁判員制度に対して反対する理由の一つです。

稚拙な文章ですいません。

賛成反対の意見のコメントは、じっくり考えてからブログでお返事しますね。