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でらのちょっと世界一周行ってくるブログ

社会人ぎりぎり一歩手前でねばる大学生が世界一周を綴るブログ。最後は「世界の中心ニューヨークなう。」にでもしようかな。

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ドブロブニクです!!



アドリア海に面したクロアチアの港町ドブロブニク。(あ、クロアチアinしました。)



ドブロブニクの見所はなんと言っても城壁に囲まれた旧市街。
「アドリア海の真珠」と言われるほど美しい街並みを求めて、日本からも毎年チャーター便が飛んでくるそうな。





バスの到着が遅くて日もどっぷり暮れてたけど行ってみました。




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街全体が大理石で統一されていて、むちゃくちゃ洗練された雰囲気。
観光地ですが地元の人ももちろんまだ住んでらっしゃいます。



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細い路地に灯るランプの明かり。

ちょっと分かりにくいなー。

大通りからこういう路地が何本も伸びてます。
ここにまだ人が住んでるっていうねんから…贅沢ですな。






久々にこんながっつりセレブ観光地に足を踏み入れました。
物価も高いし身なりも浮いてるしでタジタジでした笑



後編・昼に続きます。
もうね、閉鎖したんちゃうかっていうね。


滞ってすんません。
あと明けましておめでとうございます。(遅)


滞ってたのに特に理由はありません。
強いて言うなら、怠慢です。
心入れ替えてブログ更新して行きたいと思います。
継続は力なりです。
僕に足りないのはそれです。




ではではいってみよう!!




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首都サラエヴォから南に向かってバスで4時間、ボスニア・ヘルツェゴヴィナでも有数の観光地モスタルにやってきました。




まぁ小さい街ですが、街を東西に貫く渓流が古くからの西洋田舎な家屋とマッチしていい感じの雰囲気を醸し出しています。


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いきなり見所、モスタル橋。
なかなかいい。

カメラの絞りやらホワイトバランス変えてみたりと頑張ってみました。
どれがいいですかね??

綺麗にライトアップされてます。



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橋の上から。
夏場はここから飛び込む(自殺的な意味ではなく)人もいるんだとか。



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街。このへんはユネスコ世界遺産に認定されてます。



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イスラム寺院。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナには意外なことにムスリムが多いのです。
といってもアラブ系ではなくて白人の方が大半です。






ここも紛争の激戦地だったらしくたくさんの廃墟と化した建物が残っていました。

なかなかいいとこだっただけに、逞しく復興して欲しいものです。






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一緒にモスタルまで行った仲間たち。
お世話になりました!!
ブルガリアおよそ17時間。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエヴォにやってきた。


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市電が走り、商店街は活気に溢れている。
予想に反して賑やかな市街地。







そう。予想に反して。


至る所に残る紛争の爪痕。

1992年、ユーゴスラビアからの独立を望むボスニャク人とそれを阻止しようとするセルビア人、さらにクロアチア人との間でボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争が起こった。

死者20万人、負傷者人200万人。

そして何より異族間結婚が当たり前だったボスニア・ヘルツェゴヴィナでの民族紛争は、家族同士で殺し合いをするようなものだったという。





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紛争の犠牲者を埋葬した墓地を訪れた。

墓地を作る余裕がなく、数年前に開催されたオリンピック会場が代わりに使われたことで有名な墓地だ。

墓守りの方の許可を得て、墓地内を歩いてみる。
真っ白な、まだ新しい墓標が数えきれないくらい並んでいて、その一つひとつに亡くなった方の名前と生没年が刻まれている。

墓地にあるベンチに腰をおろした時
そこでふっと見覚えのある数字が見えた。





「1987」





1987年に生まれた彼女は、紛争が最も激しかった1993年に亡くなっていた。

自分と同い年だった。



その命は
俺と同じ年に生まれて
俺がまだ鼻垂れのガキやった頃に忌まわしい紛争で失われた。
暗くて、寒くて、いつ明けるともしれん夜を何回も過ごした後に。

生き残った俺の同い年だって、鼻垂れのガキの頃に地獄みたいな光景を目の当たりにしながら、今日も、自分が今いるボスニア・ヘルツェゴヴィナで、生きている。







こんなことってあるか??







何かに殴られたみたいな強烈な衝撃をうけた。






けれど同時に、その衝撃を久しくうけていなかったことに気づいた。


「過去に、ここで人々が殺しあいをした。」

戦争の歴史はそれぞれの国に必ずある。
正直言って、旅を続けてる間に自分の中でそれは「よく聞く話」になりつつあった。


今回も、俺はここを半ば観光気分で訪れた。






自分の中で起こっている心の痛覚の麻痺。






カンボジアのキリングフィールドを訪れた時、俺はちぎれるくらいに悲しい気持ちになった。

それが今ではどっかの世界遺産を見たときみたいな「ふーん」って感覚しか覚えないようになっていた。



恐ろしいことだ。



ここに眠る彼女の魂は自分にこのことを気づかせてくれたのだった。








痛覚の麻痺は、きっと誰もが患うし、気づかないうちに蝕まれる。
そしてそれは治らないかもしれない。




しかしできる限り、忘れないでいようと思う。

犠牲者への哀悼の意と共に、それが自分にできる最大の敬意だと思ったから。





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銃痕
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