ブルガリアおよそ17時間。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエヴォにやってきた。
市電が走り、商店街は活気に溢れている。
予想に反して賑やかな市街地。
そう。予想に反して。
至る所に残る紛争の爪痕。
1992年、ユーゴスラビアからの独立を望むボスニャク人とそれを阻止しようとするセルビア人、さらにクロアチア人との間でボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争が起こった。
死者20万人、負傷者人200万人。
そして何より異族間結婚が当たり前だったボスニア・ヘルツェゴヴィナでの民族紛争は、家族同士で殺し合いをするようなものだったという。
紛争の犠牲者を埋葬した墓地を訪れた。
墓地を作る余裕がなく、数年前に開催されたオリンピック会場が代わりに使われたことで有名な墓地だ。
墓守りの方の許可を得て、墓地内を歩いてみる。
真っ白な、まだ新しい墓標が数えきれないくらい並んでいて、その一つひとつに亡くなった方の名前と生没年が刻まれている。
墓地にあるベンチに腰をおろした時
そこでふっと見覚えのある数字が見えた。
「1987」
1987年に生まれた彼女は、紛争が最も激しかった1993年に亡くなっていた。
自分と同い年だった。
その命は
俺と同じ年に生まれて
俺がまだ鼻垂れのガキやった頃に忌まわしい紛争で失われた。
暗くて、寒くて、いつ明けるともしれん夜を何回も過ごした後に。
生き残った俺の同い年だって、鼻垂れのガキの頃に地獄みたいな光景を目の当たりにしながら、今日も、自分が今いるボスニア・ヘルツェゴヴィナで、生きている。
こんなことってあるか??
何かに殴られたみたいな強烈な衝撃をうけた。
けれど同時に、その衝撃を久しくうけていなかったことに気づいた。
「過去に、ここで人々が殺しあいをした。」
戦争の歴史はそれぞれの国に必ずある。
正直言って、旅を続けてる間に自分の中でそれは「よく聞く話」になりつつあった。
今回も、俺はここを半ば観光気分で訪れた。
自分の中で起こっている心の痛覚の麻痺。
カンボジアのキリングフィールドを訪れた時、俺はちぎれるくらいに悲しい気持ちになった。
それが今ではどっかの世界遺産を見たときみたいな「ふーん」って感覚しか覚えないようになっていた。
恐ろしいことだ。
ここに眠る彼女の魂は自分にこのことを気づかせてくれたのだった。
痛覚の麻痺は、きっと誰もが患うし、気づかないうちに蝕まれる。
そしてそれは治らないかもしれない。
しかしできる限り、忘れないでいようと思う。
犠牲者への哀悼の意と共に、それが自分にできる最大の敬意だと思ったから。
銃痕