1/9、向かったのが、京都十六社朱印巡りの一つ、今宮神社
北大路通に面して鳥居と碑があるが、そこからの参道は公道
で何回も前を通っているが、中に入るのは初めて・・・って所が多いわな
玉の輿の語源となったとされる桂昌院のレリーフも
本殿横の社は、織田木瓜なのね
西陣織と縁がある織姫社
手水の後ろに、お玉の井が
ここには、織田稲荷という社があるはずだが、なかなか見つからない
ようやく見つけたのだが、この紫野稲荷社の並びの一番右だった
この織田稲荷社、元は阿弥陀寺跡にあったもので、
昭和になってからこちらへ移されたそう
阿弥陀寺と言うと、今現在は、寺町にあって、信長の墓所として知られているが
元々は、の★辺り、すなわち以前書いた、京都市考古資料館辺りにあったそう
そして、本能寺の変の時の、本能寺の位置もで変があった時には、
寺から何事かが起こって、煙が見えたという・・・直線で約1.5キロ位やね
そこで、当時急いで駆けつけて、信長の亡骸を寺へ運んだらしい
明智軍に取り囲まれていたわけだが、結構、出入りできるところはあったという
・・・阿弥陀寺による
そして納得出来るのが、ここにある「奉献 元伊佐町」の札
京都市考古資料館の住所は、元伊佐町なのよね・・・
頂いた御朱印と境内の社の印
続く・・・