先週の土曜日の中日新聞を読んでいたら、普段私が考えていることと似た様な考え方をしている人を見つけてしまいました。

もちろんずーと明晰な考え方ですけどね。

そこで感動したので転載します。

◆袋だたきの裏に「慢」 僧侶・小池龍之介さん

 最近相次いだ不倫報道では、不倫した有名人たちよりも、関係のない第三者でありながら彼らを非難した人たちの攻撃性や不寛容の方が気になっています。今の日本人の無力感を見るからです。世界の中で日本はどんどん沈没し、グローバルな状況に翻弄(ほんろう)されている。そんな中で自分の将来もどうなるか全然見通せず、無力感にいらいらする人が多くなっているのでは。


 そんなとき、不倫や覚醒剤に手を染めた芸能人を非難したり、不法行為をした中国人や韓国人をたたいたりすることで万能感を得る、少なくとも無力感を一瞬忘れることができる。ニーチェが言う「権力への意志」です。人間には、自分が有力であると感じたいという根源的な衝動のようなものがある。仏教的にいえば、慢心の「慢」という煩悩です。


 たたいているとき、相手は「悪いことをしている好ましくない人」で、世の中の全ての人がたたくことに同意するであろうということが前提になっています。自分は正義の側におり、相手は弱者。自分がたたかれる心配はない。絶対に勝てるひきょうな戦争なのです。それは、謝り続けなければいけない反撃もできない最弱の人間を袋だたきにしているようなものです。


 不倫をしていいと言っているのではありません。私自身も過去にしてしまい、ひどく後悔しました。不倫は、されてしまった相手を深く傷つけます。ドライに申すなら、「自分の価値が下がった」と感じさせられるため、自尊心がズタズタになるのです。ただ、不倫をしないというのは自他を傷つけぬために自分に課す道徳であり、誰かがそれを犯したからといって他人が責めるのはいじめという「不道徳」です。


 他人の不道徳を口実にしてバッシングしたくなるのは、一つには、いじめてスカッとしたい。もう一つには、自分はルールを守るために、本当はそういうことをしたいけど我慢しているという意識があります。「こっちは我慢というコストを払っているのに、あいつはコストを払っていない」と思うから腹が立つのです。裏には「汚れた理由」があります。ねたみ、いじめ、慢心。それを隠して誰かを責めたり、道徳を強制しようとしたりするのはいやらしい。早くそれに気付いて、「慢」の煩悩を脱することこそが必要です。


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この小池龍之介さんて、もう既にたくさん本を出しておられるんですね!知らなかった。


東大出身のお坊さんらしいですよ。


早速キンドルで本を一冊買いました。

彼の本を読むとモヤモヤとしていたものがすっきりしそうです。