さて、その8で父が政府の高官と関税の交渉をしていたって書きましたよね。
日本の自動車産業がどんどん発展していき、良い車が作られるようになると、当然輸出が重要となってきます。
でもそれまでの日本の製品に対する関税はとても高いものでした。
フランスの植民地だったから、フランスの製品に対する税はとても低いものだったと思いますが、そのほかの国に対しては高かったんだと思います。
交渉は難航していたらしいです。
フランスに対してまだまだ依存していたので、というかフランス製品が最高だ!というような憧れのようなものがあって、中々日本の製品に目を向ける事ができなったのではないかと思います。
そして、ある提案が出されたようです。
それは関税を決める立場にある税関のボスの持ち家に一年間住むというものでした。
一年間住んでくれたら、日本製品への関税下げてもいいよ!ということでした。
父は「ヨッシャ~!」と引き受けたそうです。
そして引越しとなりました。
ところが、ところがです。
その借家は現地の人たちが住む街中にありました。
今まで住んでいた道が全て舗装され、ヨーロッパと変わらない建造物が並んでいた都会とは打って変わって、全く舗装されていない、赤土が舞ってるような町に住まなくてはならなくなったのです。
それだけではありません。フランス人が住む町は高台に位置し、かなり涼しいのに対して、赤土の町は低地で暑いのです。
家自体は広くてほどほどにきれいですし、庭があり、パパイヤの木などが植えてあってよいのですが、暑さだけはどうにも我慢できないものがありましたね。
その家で暮らした一年間の間に家族みんなスリムになりました。
何しろ暑くて、食欲がなくなるので・・・
それでは、今日はここまで
