駐在していた日本の人達


当時、独立したばかりのその国で暮らしていた日本人は最初の頃はほんの10数人だったと思います。

日本を離れて遠い国に来ていたので、皆寂しいし、心細いしで、家族同様のお付き合いしてましたね。


母は料理好きで朗らかな人だったので、よく皆さんを我が家に招待してご馳走を振舞っていましたね。

海に近く海産物が豊富なので、エビフライなどを出していた記憶があります。


そうすると時々お礼に近海で取れた、巨大なマグロが一匹、届きました!

あの築地の市場に転がっているようなでかい奴ですよ。


母はなんとそのマグロをお風呂のバスの中に入れて、大きな鋸で上に跨って切ってましたね!

母は海の近くで育っていたので、お魚の扱いはお手の物だったんですよ。


そのマグロを捌いて、皆に配ってましたね、それでも食べきれないくらいたくさんあって、マグロのお刺身はいやというほど食べ、それでも残るとフレークになってました。


色々物価は高かったけれど、魚介類だけは豊富で安かったように思います。


最初は漁業関係の駐在の人達だけだったんですが、そのうちその国が日本との合弁事業を始めることになりました。


日本の繊維会社が商社と組んで、現地に繊維のプリント工場を作るというものでした。

白いコットンの生地をオランダ?とかから輸入して、それに現地の人が好む柄を印刷するというものでした。


それからが忙しかったですね~

いろんな人が日本からやってきて、そのたびに我が家で接待したみたいに思います。


駐在される方は、大体が短期間だったんですが、お一人だけ商社の方が通訳として残られました。

この方はとても魅力的な面白い方で、父と同じ仏文科を出ておられるという事もあって、話が合い、二人は大親友になりました。


この方が亡くなられるまで、二人の友情は続きました。


神戸出身の方で、話し方から何から何までセンスが良くて、ユーモアに溢れていて、なかなか出会えないタイプの方です。


ただ、その頃ヨーロッパで音楽の勉強をされていた息子さんの教育費を稼ぐため、10年契約で、この健康的とは言えない気候の国で頑張られたのが祟ったのか、日本に帰ってから暫くして亡くなってしまいました。


本当に惜しい方を早くに亡くしてしまったと思います。


今日はここまでです。