アメーバ仲間のばばさんが私の書く自分史の読者になってくださるということで、少しずつ書いてみようかと思います。


頭に浮かんだことを気儘に書くと思うので、時間軸は滅茶苦茶かもしれませんが悪しからず。



私達家族が初めてアフリカのフランス語圏の国に行った当時、アフリカには元フランス領の国がたくさんありました。


まだフランスから独立したばかりで、その国の首都の街の雰囲気はフランスの香りがぷんぷんしてましたね。


小さな町でしたけれど、まだ外国の物が少なかった当時の日本から行った私たちにとってはとてもしゃれたところに見えました。


父は仕事が忙しかったので、母と弟と私の3人で毎日のように街を歩き回っていたように思います。


初めてウィンドウショッピングなるものを経験しました。母などは特にはまってしまったようです。


というのは、先ほどフランスの香りなどと言いましたが、まさにお店のショーウィンドウのディスプレイはセンスが良くて、とてもアフリカの町とは思えませんでしたね。


建物なども、少し古いものはフランスのコロニアル建築で、特徴のある味わい深いものですし、かなり新しい斬新な建築物もあり、きちんと整備され、清潔感があふれていましたね。


なぜこういうことを書くかというと、それから数十年後に聴いた話では、その美しい町はすっかり古びてしまい、スラム化してしまっているそうです。


植民地時代、フランス人が造り上げた美しい街も、独立して時が経つと、元の美しさを保てなくなってしまったのが現状のようです。


私たちがその国に行ったのは、夏休みの始めごろで、3ヶ月もあるフランス式のバカンスに突入したばかりでした。それは、3ヶ月の間、あまり勉強しないで遊んでいたということです。


フランスのバカンスは長いということで有名ですよね。

最初は喜んでいたけれど、そのうちすることなくて退屈するようになりました。


でも当時は見るもの全てもの珍しくて、暇なときでも窓から外を眺めて、街を走る、フランスの車、ルノーやシトロエンに見とれて飽きるという事はありませんでした。


でも親たちにとっては結構大変だったようです。特に経済的に。


というのは、当時まだアフリカで生活するということに関する知識がなくて、アフリカといえば低開発国だから、物価も安いだろうという前提でお手当ても少なめだったらしいです。


ところが、実際生活してみると、生活に必要なものは殆ど輸入品で、輸入品はバカ高いんですョ。


途中から、少し考慮してくれるようになったみたいですが、最初の頃は本当に大変だったみたいです。


私達子供にとっては、長いバカンスが終わると恐怖の学校生活が始まるんですけどね・・・


今日はここまでです。