こんにちは、
先日書いたブログにコメントしてくださったヨッシーさんが教えてくださった本、「善人は、周りを不幸にする」(曽野綾子著)、インターネットで調べていたら、ヤフー知恵袋の質問コーナーに行ってしまいました。
この質問に対するベストアンサーが素晴らしかったのでこちらでご紹介します。
善人はなぜ周りを不幸にするのですか?の質問に対して、回答者はこう答えておられます。
「 回りを不幸にする善人と、回りを幸せにする善人とがいるということだと思います。回りを不幸にする善人は、自分の価値観を疑うことがなく、誰にでもその価値観が当てはまると信じています。
だから、価値観が違う人を不幸にしてしまうのですね。
例えば、鬱を患っている人に何の疑問も持たず、頑張って、と声かけて逆にプレッシャーをかけたりしてしまうわけです。
発達障害を持つ人に甘えている、と叱咤激励したりもします。
正しい知識がないままに正しいと自分が誤解している範囲のことをしてしまうので、かえって回りを不幸にしてしまうということです。
特別な知識に限らず、相手の精神状態などを正しく理解しないと同様な過ちを冒して、しかも本人が気づくことがありません。
これに対し、回りを幸せにする善人は回りの価値観を大事にして振る舞いますが、そのことを悟られることをよしとしませんから、誰にも善人と気づかれないことが多く、それを不満とも思わない人です。
人によっては誰かのおかげで幸せになったと意識することで恩義を過剰に感じ、それをプレッシャーに感じる人もいますから、たとえ自分の振る舞いで幸せが実現したからといって、そのことを相手に知ってもらう必要もないですからね。
回りを幸せにする善人は自分の存在を消すことに躊躇しないということです。
だから、善人と気づかれる人は全て回りを不幸にしてしまうような錯覚があるかと思いますが、そうじゃない善人もいることは少しだけ気に留めておいてはいかがでしょうか?
誰にも気づかれずに幸せを実現できる人がいることを日本人は昔から知っていて、だから、何かがうまく行った時、「おかげさまで」と誰かわからない相手に感謝の気持ちを述べる言葉があるんですよね。 」
周りを幸せにする善人、こんな素敵な善人って中々いないよなーと思っていたら、記憶の奥底から、ぶわーって感じである人の事が思い出されました。
実はそういう人に20代のころ、出会っていたんですよね。
今その人は遠くに暮らしておられるので、連絡することはありませんが、時々思い出します。
彼は芸術家で、普通の人(会社勤めのサラリーマンのような)から見るとただの風来坊のような、社会に役に立たないような人間と見えるかもしれません。
彼は、決して自分を主張することなく、相手を楽しませたり、明るい気持ちにさせてくれました。
言葉一つ一つに気を配り、常に相手に対する気遣いが見られました。
しかしそういう気遣いは後になって気付くような本当に自然なものでした。
といって、表面的なただの優しい人っていう訳じゃなくって、とても厳しい批判をする事がありました。
その批判はとても鋭いもので、こちらはショックを受けていました。
その度に怒ってしまってましたが、実は、本当に相手を見ていないとできない批判だということに後から気付かされました。
相手を本当に思いやる気持ちと、嫌われても良いから相手の役に立ちたいという本当の愛情がなければできないことではないかと思います。
そういう人は滅多にいない。
稀に見る「善人」なんだと思う。
でも、誰でも一生のうち一人や二人はそういう人に出会っていて、心の奥底の大切な思い出になっているのではないかと思う。
私も、心の中の宝の箱に大事にしまっておきます。
