遅ればせながら、見に行ってきました。

素晴らしく華麗なエンターテーメントでした。


「ムーラン・ルージュ」と同じ監督らしいですが、なるほど同じ手法が使われていますね。


例えば、鳥目線で街を俯瞰したりするところとか、景色がまるで非現実的な色彩に彩られているところとか、箱庭のような町とか、何か摩訶不思議な世界に誘われているようです。


そんな手法が不思議に合う1920年代のニューヨーク。

ギャッツビー邸で毎夜繰り広げられる華やかで喧騒に満ちた世界をこの映画の前半は描いています。


ギャッツビーの姿は謎めいています。

大富豪の御曹司だという人もいれば、何をしているかわからない怪しげな人物だと言う人もいる。


ギャッツビーのお城のような屋敷の隣に住むキャラウェイは、しがない証券マン。そんな彼にある時隣人から招待状が届く。


次第にギャッツビーの意図が明らかにされていく。


ギャッツビーは5年前にキャラウェイのいとこで上流階級の娘デイジーと恋仲になり、彼女と結婚することを夢見るが、将校であった彼はそのまま戦場に赴く。


デイジーは彼を待ち続けるが、戦争が終わっても彼は姿を現さない。

デイジーは仕方なくブキャナンと結婚。


ギャッツビーは、デイジーと結婚するためには成功して金持ちにならなくてはいけないと思ったのだ。

そのためあらゆる手段を使って成功する。


そしてデイジーとの再会を果たすため、毎夜自宅で派手なパーティを開き、辛抱強く待ち続ける。

その最初の糸口が、従兄弟であるキャラウェイを自宅に招待することであった。


次第にギャッツビーに惹かれていったキャラウェイは、ギャッツビーとデイジーの逢引を取り持つまでになる。


二人は逢引を重ね、夫ブキャナンが疑いを抱くまでになる。

そしてついにデイジーの夫と対決することになる。


ブキャナンはギャッツビーを詰る。

ギャッツビーの貧しい育ちを激しく侮辱する。


ギャッツビーはブキャナンに対して激しい憤りを隠さなかった。

そのため、デイジーにまで、恐怖を与えてしまう。


そして、その直後事件が起きる。

デイジーとギャッツビーが乗った車がブキャナンの愛人をひき殺してしまうのだ。


その直ぐ後に別の車で通ったブキャナンはことの次第に驚きつつも、自分の愛人の夫にすり寄る。そして、巧妙に妻の浮気相手はギャッツビーで、彼女を殺したのもギャッツビーであるかのように思い込ませる。


そして翌朝、最後までデイジーからの知らせを待っていたギャッツビーを待ち受けていたのは死神だった。


ブキャナン夫妻は、事故を起こしたのはデイジーであったにもかかわらず、そしてブキャナンは間接的にギャッツビーを殺害したにもかかわらず、全ての罪をギャッツビーに被せ、去っていく。


そして、真実を知るキャラウェイは、精神を病んでしまう。


キャラウェイは心底ギャッツビーに惚れ込んでいた。


それは彼が決して希望を捨てず、とことん目標を達成できる能力、精神力、行動力に敬意を感じたからだ。





原作である「華麗なるギャッツビー」を書いたフィッツジェラルドは、ギャッツビーのように将校で、南部の名門の女性と結婚している。


この女性との恋愛体験がこの小説の下地になったのだろう。


この女性との結婚生活を描いたジル・ルロワの小説「ゼルダ、最後のロマンティスト」によると、彼女は複雑な女性でいろいろと問題があったようだ。フィッツジェラルドは彼女のことで苦労したらしい。