さっきブログを書き終えて、他人のブログを読んでいて気付いた事がある。
私はブログ村で思想哲学のランキングに名前を連ねている人たちのブログをよく読みますが、今日あることにふと気付いた。
それはほんとに個人的な勝手な比較なので、それぞれのファンの方々は気にしないでください。
といっても私のブログを読む人はとても限られているから、やっぱり勝手に書くことにします。
気付いたことというのは、まず、仏教や禅の思想などを基盤にしている人たちのブログはとても優しいということ。人に対してとても優しい。
あなたはそのままで良いんです。もう十分に良い人だから、安心しなさい。と語りかけてくる。
それに対して、キリスト教を基盤にしているものは、優しげな言葉を並べながらも、あなたがもっと成長することを求めてくる。
その違いはその人がどちらの立場に立っているかで決まってくると思う。
仏教、禅系の人は、やはり悟りの思想から来ているから、悟ったときに感じる「他人も自分も皆一つ」という感覚、至福感から、「宇宙は愛だー」と感じる感覚が強い。
そして何より辛い体験の末に悟りに至る事が多いから、辛い思いをしている人に対してとても親近感を持っている。いわば、仲間意識がある。
それに対して、牧師など大学で神学を学んだ人というのは、どうしてもエリート意識がある。
とても素朴な牧師さんという人もいるにはいるが、大体は謙虚さの中に傲慢さを隠し持った人が多いように感じる。
性善説と性悪説というものにもその違いが現れているように思う。
人は生まれながらにして善だとする仏教と、悪だとするキリスト教。
悪だとするから、一生を通じて悔い改め、うまく行くと天国に行けるのだ。
悔い改めがうまく行かない人は罪悪感を感じたまま、生きていかなくちゃなんない!
ああ、辛い!
辛すぎるから、へんなやつがやってくると、悪いことは皆そいつにおっ被せる。
うーん!
また、愚痴っぽくなりそうになったので、ここらでおしまいにします。
このテーマ、また書きます。
ps: キリスト教を批判してはいますが、無くなればいいと思っているわけじゃないです。
基本的にどっち系のブログも好きです。
癒されたいときは、悟り系で、自分を見つめる必要を感じるときはキリスト教系と。使い分けてます。
