前回の続きです。


悟り体験といっても個人差はすごくあると思う。


仏教の方から入られた方は、仏教の最終的な目標は「悟り」だと思うので、そこに至るための知識はかなりあると思う。


だから、悟りを啓くということがどういうものかよく”学習”できているから、短期間のうちに教えを説く準備ができるのかもしれない。


ヨガなどのインド仏教などから入られる方もそのように思える。


私の場合は、不思議な体験をした後、それを神の啓示と捉え、通っていた宗教団体の信者になることにした。


自分の体験を他の人達の前で話したが、その体験そのものに興味を持ってくれる人は少ないように思えた。


大部分の人は、この「バカたれ」もようやく自分達の仲間になる決心をしたか、と思って喜んでおられるようであった。


今思うと、一部の人達は、私の体験がどういうものか理解してくださったようだ。 


しかし、一方で、私の体験の意味を理解しようとしない人たちがいた。

その人たちとの間で微妙な行き違いが生じ始めていた。 私の行動、態度がその人達が期待したものではないことに不満に感じられたのかもしれない。


結局、そこを飛び出した。夫の願いで別の場所に行くことにした。


私の気付きは、いったん中途半端なまま、棚上げ状態になってしまった。


「そんなことは無いだろう。一度気付いたらそのまま悟りを啓くのが普通だろ」って言われるかもしれない。 


でも私の場合はいったん凍結状態にしたのだ。そういうこともあると思う。



                      つづく