社会心理学者の山岸俊男氏は、その著作の中で、「集団主義社会」と「信頼社会」という二つの社会のあり方を説明し、対比させておられます。
私自身は、子供時代を日本で過ごし、思春期になって全く言葉の通じない人々の中に放り出され、そのまま何とかその国の言葉を学び、10代、20代を日本とは違う文化の中で過ごすと言う体験をしました。
わたしがその体験を話すと、殆どの人は、「外国に行って、外国語ができて、いい思いをしたんじゃない」、という妬みのような感情を抱かれるようです。 妬みが先立つため、「大変な思いをしたんだ」という私の訴えを聴いてくれる人は殆どいません。
妬みが根本にあると、人は中々その相手のことを正当に評価してくれません。
私にも、人々が持つ偏見を覆す力が足りませんでした。偏見から誤解が生じ、悪い噂は止まるところを知らないという感じです。
その原因は何なんだろうと、ずーと考えてきました。
私は社会に順応する時期に外国で、言葉ができないため殆ど引きこもりの状態にあったということです。社会に順応する能力が欠けたまま、十数年後に帰国しました。
ところが、日本社会は、集団主義の考え方が優勢であり、集団主義社会の中で大事なのは、とにかく「空気が読める」ということのようです。 山岸先生が言っておられる「関係性検知能力」です。
集団主義社会である日本の中でうまく人間関係を築くために欠かせない能力なのだと思います。
こういう社会の中では、誠実さとか正しさとかは、あまり意味の無いことのようです。
私のように、「空気が読めない」というか、相手が信頼できるかどうかを察知する「信頼性感知能力」ばかりを重視してきた人間は、排除される運命なのでしょうか?
