「あすか」
(第15号科学衛星ASTRO-D,
別名ASCA(Advanced Satellite for Cosmology and Astrophysics))
日本の宇宙科学研究所が打ち上げた4番目の宇宙X線観測衛星である。
1993年2月20日,
鹿児島宇宙空間観測所(現内之浦宇宙空間観測所)
からM-3S-IIロケットによって打ち上げられた。

2000年7月14日、
巨大太陽フレアにより、
地球の大気が膨張した影響であすかの姿勢が崩れ、
観測不可能に陥った。

その後も最低限の機能による運用を続けたものの、
翌2001年3月2日に大気圏に突入、消滅した。

「あすか」は打ち上げから2001年の大気圏突入迄の8年間に、
延べ2,000個以上の天体を観測し、
膨大な成果を挙げた。

$鳥篭庵隠居日記-あすか

去年の夏に拾われて来たウチの猫達は、
宇宙機フリークのお父ちゃんの命名で、
皆人工衛星や宇宙探査機の名前を頂いて居る。

志半ばで堕ちた機体、
永遠に軌道上を廻る機体、
使命を全うして、随伴機と供に月に還った機体等。

「あすか」はその内の一頭。

ウチに連れて来られた時、
四頭の猫達は離乳間も無く親から離されて捨てられた為、
比較的元気だったメスの二頭に比べて、
「はるか」「あすか」のオス二頭は体が弱かった。

餌の食いも悪く、
折角食べても下痢気味で、
ボディコンディションスコアも低かった。

色々試行錯誤の後、
免疫グロブリンのサプリメントや粉ミルクで離乳食を作って、
オス二頭には手ずから餌を上げて居た。

スプーンの金属特有の匂いが嫌いで、
指で離乳食のペーストを取ってあげると喜んで食べた。

↓去年10月。(珍しくかぐやも写って居る)
もう随分大きく成って居る。
$鳥篭庵隠居日記-ASTRO-Dあすか
この頃には他の仔より大きく成って居た。

他の仔は缶飯が好きなのに、
あすかだけは、カリカリの方が好きだった。

体躯が大きく成った分、
とてもトロかった。

猫じゃらしで誘導して
上の写真のキャットタワーに上れる様に成ったのは、
仔猫達の中で一番遅かった。
$鳥篭庵隠居日記-メイキングオブアビーロード
↑一番ビビリだったし。

$鳥篭庵隠居日記-アビーロード
↑みてみて!
アビーロードみたいでしょ!
右からかぐや、のぞみ、あすか、はるかです。

$鳥篭庵隠居日記-渋滞中

甘え上手な他の兄弟と比べて、
消え入る様な声で鳴くあすかは甘え下手で、
気が付くといつも一頭で寝て居た。
構われるのが嫌いなのかと思っていたけど、
ある日、
一頭で寝て居たあすかに「あーすか」
って声をかけたら、
$鳥篭庵隠居日記-あ
↑こう成って、
「撫でてくれ」と催促する。

それ以来、
俺の横を通ると「あーすか」って声を掛ける様に成った。

歩いてても、
走ってても、
座ってても、
「あーしか!」
って声を掛けると、
ゴロン。

「一寸今忙しいんだけど!」って鹿十してると、
声を掛けられる迄俺の周りをぐるぐる回ってた時も有った。

兄弟の中で一番大きく成って、
一番手が掛からない子だったから、
その変化に中々気付か無かった。

ベトナムから帰って来たお母ちゃんが、
小さく成ったって言い出した時には、
もう発病して居たんだろう。

大きく見えて居たのは溜まった腹水で、
病名は「伝染性腹膜炎」
治療法は無く、
発病後は序々に食欲が無く成り、
腹水が心臓を圧迫し、
やがて死に至るらしい。

よくよく思い出してみれば、
この所、
何処と無く億劫そうで、
声を掛けても中々ゴロンをしなかった。

一寸大きめの濁声で「あ"ーしかっ!」って言うと、
やっと付き合って呉れる感じだった。

その日から、
「伝染性・・」と云う事だったので隔離する事に。
photo:01


このケージに入れるのも去年の秋以来。

あの頃はこの中に四頭入ったのに、
大きく成った。
photo:02


そんなに兄弟で遊んで居るタイプじゃ無かったけど、
一頭だけだと寂しそう・・
photo:03


この写真を撮った時、
構って欲しかったのか、声を掛ける前にゴロンをした。
消え入りそうな声で、
親を呼ぶ鳴き方もする。

指先から餌を上げて居た頃の鳴き方。

お腹を、撫でてやる。
指先からペースト状の餌をやる。
申し訳程度を指から食べて、

初めて大きめの声で鳴いた。

俺にはそれが
「辛いよぅ」って聴こえて、
「痛いよぅ」って聴こえて、
もう写真は撮れ無かった。

photo:04



だから↑これは、俺が撮った最後のあすかの写真。

16日、午前3時15分、

二度と苦しい思いをしないで済む国に、
彼は旅立った。

お父ちゃんもお母ちゃんも、
とても辛そうだ。

何もして上げられ無い無力さに打ちひしがれて居るみたい。

そんな事無いよ。

二人ともベストを尽くしたよ。

去年の夏、
河原にうっちゃられたダンボールの中で、
直射日光に炙られて居た彼等を救ったのは二人じゃないか。

二人に見付けて貰って、
二人の子供にして貰った俺には解かるよ。
(多分、俺にしか解からない)

心細くて、
お腹が空いて居て、
暑くて、
悲しい気持ちで一杯だったんだ。

声の限り
「お母さん」って叫んで居たんだ。
お母さん、「寂しいよぅ」
お母さん、「ひもじいよぅ」
「暑いよぅ」「悲しいよぅ」
「お母さん」「おかあさん!!」

ただ只、
青空に吸い込まれるだけの声に気付いて呉れたのは、
お母ちゃんだけだったじゃないか。

「うちの子に成りなさい」
って言われた時の事は、
あすかもきっと忘れ無いと思う。

「お母ちゃん、
一杯撫でて呉れてありがとう。
お父ちゃん、
寝ないで看病して呉れてありがとう。

愛して呉れてありがとう。

俺を見付けて呉れて本当にありがとう」

そう言ってるよ。
きっと言ってるよ。