初めての傷病手当申請書を会社に提出しました。
休職開始から前年末までの2週間弱の期間分です。
随分時間がかかってしまったな。
1月~3月末までの申請書は、次回診察時に受け取れる。

会社の総務の先輩がとても良くしてくれる。
自分の姉のような存在の人。
今、まだ会社とのやりとりはダンナ様にやってもらうようにと主治医に言われ、
主としてはダンナ様がやってくれれているけれど、
申請書の記入をして、挨拶文は書くようにしている。

そんなことしなくても・・・と思う人もいるだろうけど、私にはそれができない。
だからうつになるんだろうけど。
忙しい中で、余分に作った自分の為の処理をお願いするのに、必要なものだけを封筒に入れて送る。
自分にとって、それは失礼極まりないと感じてしまう。
実際、ほんの少しの挨拶文を書くのに1時間程かかっている。
それでも書かないよりも書いたほうがストレスが少ない。
自己満足の世界。

先輩は、とても嬉しいけれど疲れしてまうから気にせずに書類だけで良いですよと伝えてくださいと主人にわざわざ電話をくれたらしい。

これだけはどうしても譲れない自分の世界。
斉藤工の声ってなんだか癒される。

それだけなんだけどね。
これまでの人生で、いわゆるいじめにはあったことないのかもしれないけど、
どうしても忘れられない出来事がある。

『クラスで一番の嫌われ者』

と言われたとき。

なんでこんなことになったのか。
今では考えられないけど、担任が道徳の授業でこう言った。

「この紙にクラスで自分が嫌いだと思う人を書きなさい」

読み上げられた名前の多くは自分だった。
当時転校生としてチヤホヤされていただけなのか、自分の周りには友達だと思っていた人がたくさんいた。
いつも遊びに誘ってくれていた子、
朝夕一緒に学校に通っていた子、
放課後一緒に遊んでいた子、
みんな私のことが嫌いだと言った。

すごくショックだった。
その頃から、同世代の特に同性に対する接し方が変わったと思う。
自分から積極的に関わりを持つことを避けた。

それから数十年が経ち、その時の担任が教育委員会のお偉いさんになったと耳にしたとき
本気で訴えてやろうかと思ったけど、虚しかった。

その後も、うまく女性と交友関係を築けないままでいるけど、
今回はその必要以上に取る距離感から

お高くとまってる

という理由からママ友と呼ばれる人たちからあからさまに避けられた。
LINE外しなんて当たり前。
もう慣れてしまったよ。

それでも私と仲良くしてくれる人はいる。
親友と言える友人もいる。
頼れる人もいる。
数は決して少ないけれど、それでも自分を受け入れてくれる人がいる。
それだけで十分。

見栄を張り合って、お互いを謙遜しながらの関係は友人とは言えない。
うつになって本当に痛感した。
自分がうつになったと正直に打ち明けられる人、そうでない人。
それを聞いて、受け入れてくれる人。
それが自分の中での友人のラインなんだと。