いつの頃からだったか、
自分の思考の大半が、must / should でいっぱいになっていた。

こうすべき
こうあるべき
こうしなければ

もう全てがガチガチです。

赤信号を無視して横断歩道を渡る人を見ては、交通法規を守るべき
電車でお年寄りや妊婦さんを目の前にして寝たふりをするをするサラリーマンを見ては、席を譲るべき
自分に対しても同じです。

いつからこうなっちゃったんだろう。
心の余裕というか、遊びが無く、ガチッと嵌って抜けなくなった鍵のよう。
だから毎日がいっぱいいっぱいなんです。
どんどん自分で自分を追い込んでいる。

そんなこと、どうでもいいんだよ

自分で自分に言い聞かせる毎日。
ココロではわかっているのに、頭が理解してくれない。
どうしちゃったんだろう。
気が付けばヘトヘト。

朝のピリピリした雰囲気の電車が苦痛。
夜のどんよりした雰囲気の電車が苦痛。

仕事に集中している時間と、自宅にいる時間が唯一リラックスできる時間だったはずなのに、次第にそれすらも苦痛になってきた。

思うようにはかどらない仕事に対して、自分の努力が足りないからに違いない。
9歳の子供なら普通にする程度の失敗に対しても自分の母親としての至らなさからだ。

何にせよ、must / should 思考はカラダにとっては良くない。
意識高いと勘違いしやすいですが、きっとコレは頭(脳)がガチガチに凝ってしまったあまりヨロシイ状態ではないと思います。

そんな時は、大きくゆっくり深呼吸でもして、たっぷり酸素を頭に送ってあげて、リラックスするようにしています。
人間がもつ柔軟性あふれた柔らかいアタマに戻るよう、ストレッチをイメージしながら…。
うつ病のひとに「頑張って」と言ってはいけません。
というのは有名な話ですが、実際にうつ病を患ってみて感じたことは、
「大丈夫」という言葉もあまりよく無いなと感じました。

気分の谷の時に、「大丈夫だよ」と言われても、本人は大丈夫じゃ無いのだから、何もわから無いくせに大丈夫なんて言わ無いでくれ、何が大丈夫なんだと反発したくなる。
実際、主治医から「大丈夫」という言葉を聞いたことが無い。
そしてダンナ様からも。

谷の時の思考は自分でも制御不能になっている。
だから実際大丈夫じゃない。
そんな時、ダンナ様の声かけは決まっている。

「今は病気なんだよ。今考えている事は、病気が作った考えなんだよ。治ればきっとなんでも無いことで今は苦しんでいるだけ。何でも無いことなんだよ。何でもない」

肩を持ちながら諭すように声かけをする。
私が理解できるまで何度もゆっくりと繰り返す。

うつ病患者には、今の思考は自分の考えではなくて、病気のせいだ、そして今その病気を患っているという事を認識させることが重要なのかもしれ無い。
言葉で大丈夫だと安心させる事はうつ病患者に対しては適切では無いと実感している。
自分は今病気であって、この思考は自分の思考ではなく、病気が作り出した思考である事を認識させるような声かけが最も安心する。

うつ病患者に対する声かけは難しい。
その中でも、病気である事を認識させることは意味がある声かけであると思う。
ダンナ様は妻の私が言うのも何だが、頭が良い。
ものすごい処理能力を持っている。
それでも本人曰く6割程度の力しか出していないらしい。
全力を出し続けるのは賢く無いといい切る。

スミマセン。ワタシはそれで壊れました。

ダンナ様は常に火消し役に回される。
問題を抱えたプロジェクトの火消しに回る。
大抵大々的にプレス報道されたプロダクトの火消しだ。
発売延期が許され無いプロダクトの問題解決。

毎日のように分刻みのスケジュールをよくこなしていると感心する。

そんな彼ではあるが、学生時代はほぼ勉強はしていなかったらしい。
どうすれば効率よく単位がとれるかしか考えていなかったらしい。
まずはどうやって遊ぶ時間を作るかを考えていたらしい。
その遊びから得たものは彼曰く大きいらしい。
真面目に真正面から立ち向かうのは賢く無いと彼は言う。
それは一番簡単な正攻法であるけれど誰もできると。

彼のような4次元的なものの考え方が出来たら、自分もなにか変わるのかもしれ無い。
彼と話をしていると気付かされることが多くある。
すごい人だと結婚して16年になる今でも驚く。