ときどきポストに入っているフリーペーパー「ぱど」。
この情報誌を発行している株式会社ぱどの
社長が倉橋泰さん。
ぱどは、荏原製作所の社内ベンチャーとしてスタートしていますが、
事業立ち上げの経緯を倉橋さんから聞く機会がありました。
1983年に倉橋さんは荏原製作所の技術者としてロサンゼルスに派遣になります。
このとき、現地の人たちは水曜と日曜しか新聞を買わないことに気付きます。
水曜と日曜は割引クーポン券がついてくるのです。
当時、日本ではテレビのニュース番組はまだ少なかったのですが、
米国ではテレビのニュース戦争が起きていて、ニュースを知るために新聞を買うことはなくなっていました。
一方で、「Penny Saver」という地域の情報が書かれたフリーペーパーがポストに入っていました。
日本でもいずれ新聞の購読が減れば、折込チラシも減り、
フリーペーパーがビジネスになるのではないかと考えたといいます。
この発想にはびっくりです。
私も米国で生活していたことがあり、たしかに日曜日だけ新聞を買っていました。
私の場合は、クーポンではなく、映画やミュージカルの案内を見るためです。
しかし、新しいビジネスなどちっとも思いつきませんでした。
85年に倉橋さんは帰国しますが、このとき日本は円高不況の真っ只中。
荏原製作所も新規事業を立ち上げようという機運になったおり、
畑中さんはフリーペーパービジネスを提案します。
本業とかなり違うことから、なかなか認められず、
社長に直談判したりしました。
副社長が協力してくれて出資者を集めてくれたことで社内ベンチャーとしてスタートすることができました。
しかし、広告の契約が伸びなかったり、出だしは厳しいものでした。
その後、経営陣が替わり、子会社の整理が始まります。
倉橋さんは新たに出資者を募り、MBOを行い独立しました。
2001年には上場を果たし、
2002年には発行部数世界1としてギネスに認定されました。
他のフリーペーパーと異なり、ぱどはエリア別に編集し、宅配というインフラを整備したところが強みとなっています。
倉橋さんの会社経営の基本は
ロマン:本当に社会の役に立っているか。
そろばん:利益を出しているか
冗談:仕事が楽しくないと意味がない
ぱどが社内ベンチャーとしてスタートし、独立できた最大の要因は
倉橋さんのポジティブでアグレッシブな人柄でしょう。
そして、副社長という支援してくれるトップがいたことということができます。
社内ベンチャーは社内のいろいろなところから攻撃が来るので、