前回からの続き

 

手術日の朝が来た
色々感情が渦巻く朝かとおもいきや
”喉が渇いた、水が飲みたい”
とだけ思っていた記憶がある
 
前に手術は10時間程度かかると説明
を受けているが、
「もし数時間で終わった場合は
横隔膜に転移していて摘出できなかった場合です、
その場合は余命のお話になります」
とも説明を受けていた。
 
病室のフロアから手術室のフロアまで
エレベータで移動する
嫁さんとは病室のエレベータ前でお別れ
嫁さんは頑張って作った笑顔で
「頑張ってね」といい、自分は
「うん、ほいじゃ」と短く答えた
エレベータのドアが閉まる
 
手術室のフロアでドアが開くと看護師さん立っていた
意外と自分は冷静に担当の看護師さんの挨拶に
笑顔で答え、執刀する先生に
「よろしくお願いいたします」
と挨拶した記憶がある。
 
別に覚悟を決めたわけでもなく
ただ流れていくスケジュールに乗って
自然体で対応していた
 
また次回
 
嫁さんの作り笑顔はいまだに記憶に残っています
この時は自分よりも嫁さんの方がつらい時間を
過ごしたのかもしれません
本人に聞くと、「もう忘れた、嫌な記憶は消去することにしている」
と当時の事をあまり話してはくれません
ただ、手術中の時間に読もうとしていた本は
同じページを繰り返し読んでいて
全く頭には入ってこなかったといっていました
手術開始から4時間ぐらいたって、とりあえず
癌の摘出手術はできると思い、最悪の結果
にならず少しだけほっとしたといっていました
自分が逆の立場だったらと思うと、
申し訳ないとただただ思うばかりです
なので、少しだけ感謝の気持ちを込めて
休日は自分がご飯作ったりしています
本人に伝わっているかはわかりませんが、、、、
 
更新頻度が落ちてきているが、更新はしていくつもり
前回からの続き

 

再入院した
前回の入院経験が生き色々暇つぶしグッズ
を揃え順調な入院生活開始となった
 
手術に耐えうるか踏み台昇降運動や
肺活量の検査を行った
 
そして手術前日となる
絶飲食を行うのだが
喉が渇く、、、、、、、、
水を飲むことは禁止されている
うがいは一応OKとなっている
病室内が乾燥しているのだろうか
喉の渇きに耐えるのは学生時代以来なので
結構辛かった思い出になっている
空腹はあまり感じなかった
なぜなら明日手術、それもとてもハードなので
精神的に食欲はなかった
が、、喉はとても渇いて辛かった、、、、、
 
また次回
 
本当に喉は渇いて辛かったです
また、自分の受けた手術は
とても大がかりなものなので
乗り切る体力があるか確認の検査も
しました。
体力がないと乗り切れず
術中にそのままというケースもあるらしいです
年齢にかかわらず日頃から運動などして
体力をつけておくことは重要だと思います
体力があれば切除して生存する可能性を
高くできるので、、、
 
自分は自電車乗ったり、水泳したりしてました
それでも検査入院中に相当体力落ちました
年齢が高くなると、体力が落ちるスピードが
高いと感じています。
 

週末は家族サービスでオリンピックは1秒も見ていない

前回からの続き

 

再入院まで1週間ほど時間があったと思う
その間ネットで膵臓癌を調べ
あまりの生存率の低さに愕然とした
 
簡単に思考が悪い方へ進むので
部屋の片づけと、自分にもしもの事が
あった場合に備えて
自分の持ち物の処分をした
 
息子にも自分の状況を伝えた
隠すのはよくないと思った
 
1週間は思ったより早く過ぎた
 
手術入院の準備をしながら
生き残ってやるとか死ぬかもしれない
とかあまり考えなくなっている自分に
少し驚いた
 この1週間、家族が普通に接してくれていた事
が原因かもしれない。普通に生活できていた
 
また次回
 
この1週間普通に生活できるようにしてくれた
家族には感謝しています
何か特別な事をされると多分小さなことでも
マイナスに思考する時期だと思います
家族は第2の患者という言葉があるそうですが
自分に何かあった場合等鑑みると
深刻さは自分も家族も同じだと思います
ただただ家族には特に嫁さんには感謝しています
ここだけではなくちゃんと嫁さんには言葉で伝えています
伝えるべきことは伝えるようにしています
嘘つくのがへたなので