ヒューマン・ドラマという括り方をされるのかもしれないが、SFとして扱ってもいい作品。自分以外のすべては虚構であるかもしれない。そんな恐怖感を、喜劇として示してくれる映画。
この映画では、主人公トゥルーマン(ジム・キャリー)の住む町が、超巨大な撮影セットの中に作られていて、周辺の人々は俳優で、町の住人はエキストラである。トゥルーマンの行動は、小型カメラにて全て生放送される。そのことを知らないのは、トゥルーマンだけ。親友も、奥さんも、皆、エキストラだ。
人間の性質、行動は、自分の意思で決定されるわけではなく、ただ環境によって決定されるのではないかという問題提起にもとれる。ここで重要なのは、虚構に気がつき右往左往するトゥルーマン自身ではなく、その放送に釘付けになる虚構の外にいるはずの観客達だ。彼らは、虚構という物語を必要とし、摂取し、消費している。まったくの他人であるはずのトゥルーマンに感情移入しているのは、自分の代わりに虚構から抜け出してほしいからだ。
現実においても、たえず社会は物語られ、虚構化されている。抜け出そうとするか、TVのなかのトゥルーマンに投影するかは本人の自由なのだ。