監督・脚本・制作アンドリュー・ニコル。遺伝子操作で25歳で成長が止まる社会。25歳からの余命は1年で、時間は通貨として扱われる。25歳になると腕にホログラムのような時計が出現し、これが残りの寿命=通貨となる。したがって、他に貨幣は存在していない。なぜか物々交換という概念もないようである。人々は、進んで自分の寿命=通貨を使用して生活している。
時間は、お互いの手に触ることで取引できる。例えば触れた相手に「5分あげる」と思えば、譲渡できるし、気絶している人間から、「5分奪う」と一方的に思っても、それはそれで成立するようである。また、腕に専用の機械を当てることで機械の中にも時間を保存することができる。どういったシステム、テクノロジーかという細かな説明はない。
主人公ウィル・サラス(ジャスティン・ティンバーレイク)は、スラム街出身で、住人達は、誰もがその日暮らしで残りの時間も、一日分だけなどがざらにいる。そんな彼が、ふとしたきっかけで膨大な時間を手にすることになり、スラム街から富裕層が暮らすニューグリ二ッジへ行くこととなる。この映画は、高度格差社会のメタファーであるのだろう。格差は固定化され、なかなか抜け出すことができない。余命がわずか1年ということもあり、持つ者と、持たざる者がはっきりとしている。富裕層は、親から時間を贈与され、貧困層は、税金やローンの支払いに時間は消える。ウィル・サラスも、そんな社会に嫌気がさし、搾取し続けている富裕層に仕返しをするという決意をする。
時間管理官レオンに『バットマン』シリーズでスケアクロウを演じたキリアン・マーフィー、ヒロインのシルビア・ワイズをアマンダ・セイフライドが演じている。キャストはかなり良いのではないかと思う。アマンダ・セイフライドは妖艶で小悪魔的な雰囲気があり、魅了される。
設定は少々甘めではあるが、資本主義社会、格差社会のメタファーであるならば、それほど拘る必要もないかもしれないが。時間を保存したりする設定は、ミヒャエル・エンデの『モモ』にも似た雰囲気がある。
同じアンドリュー・ニコル作品の『ガタカ』や『シモーヌ』、脚本を担当した『トゥルーマン・ショー』も傑作だが、本作も、十分に見応えのある映画。