若いころラグビーをやっていた。

非効率練習の全盛期

練習中は気持ちがだれるから水飲み禁止

炎天下の夏休みにグランド斜めランパス30往復。落としたらやり直しでNET40往復

グランドが使えない日は小石の転がる河川敷グランドで練習。タックルに行くと額や腿、あばらから出血した。

 

身体が痛くても骨折しなければ休めない。疲労骨折ではだめ。捻挫で足首に体重がのらない場合は変な走り方で練習についていった。

もちろん早く走るだけではなく、足で踏ん張り相手にぶつかり押すコンタクトプレーも。

結局、反対の足首も捻挫し、更に変な走り方で練習する。

 

 

そんなことをやっていたので、35歳を超えたあたりから突然かつての筋肉の古傷が痛み出し治療に勤しんだ。

若い頃は、捻挫や筋挫傷などは安静にし回復をまたなくても、周囲の筋肉が強化されれば運動はできてしまう。

その傷を負った筋肉はどうなるか。固まって委縮し、ほとんど血が通わないまま数十年。

年齢を重ね周囲の筋肉が衰えると、傷を負ったままの筋肉に力を入れる必要があり、突然うずく。

ある元横綱が引退から10年経った頃、夜中に突然首の激痛に襲われたという記事を読んだが同じものだ。

 

 

 

実は心にも傷がある。

大きな怒りや深い悲しみの思い出がそれにあたる。

日常生活の中では、それらを無視して目の前のことを進めねばならない場合がある。

無視された怒りや悲しみは年月を経て突然うずく。または、それらに気づいてもらえるような別の怒りや悲しみを引き寄せる。

 

心の専門家によると心の傷も筋肉と同じで自然に治癒力があり、その傷を認知し向き合えば、安静に静養することで自然に治っていくそうだ。

 

 

 

周囲の人は心の傷のない、または少ない安易な人生を送っているように見えてしまうが実際のところ相手の心は誰にもわからない。

ただ、小さい傷しかなかった人はそれだけの収穫しか得られない。

枝豆を栽培するときは、”摘心、断根”といって、収穫量を増やすため本葉が出た時、本葉と根を切り取る。それを植えなおすと更に強い根が張り、切り取った本葉の脇からは新たな芽が二つ生える。そのため収穫量が二倍になる。

 

蓮の花は泥の中に根を張り大輪を咲かす。泥の中にいても、風に飛ばされどこにでも咲く草花を羨ましがりはしない。