3,11がまた来ている・・・

当然ながら東北の大震災である。

 

私はその時中学校の卒業式に

来賓として出席していた。

それも頼まれて仕方なくの

代理である。

 

予定では仙台へ車で行く

ところだった。

 

いつもはいわきあたりから

高速を降りて、海沿いの

一本道を通っていた。

 

中途にJリーグの施設があり

そこに「道の駅」があって

よく休憩していた、

 

時々海が見えてとても

気持ちがいい快適な通りである。

 

もしも通常通りだったら

今私はここにいない・・・

 

運命はなんと過酷で

いたずらだろう

一寸先は闇とはよく言った

ものだ。

 

この年のグアム大会は

福島のチームが中心だったから

さあ大変・・・

 

代表者にやっと連絡がとれて

安堵したが、海側は繋がらない

ので分からない、

それに津波より放射能で大騒ぎ

しているとのことだった。

切実な様子が伝わってくる。

 

12月まではまだ時間があるが

未曽有の大参事が起きて

こんな時にグアム大会とは

どうしたらいいのだろう・・・

 

もう中止するしかないと

我々一同あきらめの境地

だった。

 

しかしながら

事態は好転して

3か月位経つと徐々に

先生方から連絡が入り、

何とか参加)出来る

かもしれないと言ってきた・・・

 

本当に驚いた

そして福島の人たちの強さ

粘り強さには感服した。

 

再びグアムと日本のプロジェクト

は動き)出した。

 

グアム側も最大限の努力を

確約してくれた。

 

開催場所も観光で有名な

サンドキャッスルを借り切ることに

なり大々的に行われた。

 

グアム大会史上随一の華やかさ

だった。

 

オープニングに福島チームが

現れると会場は割れんばかりの

大喝采だった。

 

その時の出演曲

「イフウィーホルド

オントギャザー」は

素晴らしかった。

昔からの不朽の名曲で、どんな

困難にあっても信じて頑張れば

必ず報われる・・・という歌詞

皆感激した。

 

そしてコンペティションでは

その福島チームが群舞の部で

優勝した。

 

災害の中で練習に精進して

勝ち得た成果だった。

後世に語り得る見事さだった。

 

最後にはグアムの人たちの義援金

が集まった、

この沢山の募金は日本に

帰って福島の県庁に寄付した。

代表の先生と共に新聞に

取り上げられた。

 

直ぐにグアムに送ったらとても

喜んでいた。

そして今なお心配している・・・

 

この2011年の大会は

忘れることが出来ない

素晴らしい思い出として残る。

 

この日が来るとあのサンドキャッスル

の勇姿が蘇る・・

 

またもう一度やりたいものだ。



 

茶道のところで、床の間に
掛けてある軸には文字が
書いてあることが多い

その文字を見て理解しな
ければならないが、これが
難しい、字も読めないし
意味も不明である

書道であると断言したが
その通り四季を表し状況を
説明している

瞬時に分かれば楽しい
床の間に一礼する理由が
理解できる

茶道も書道も交差して
その世界を表現している
深い意味合いがあり
静の芸術である

一枚の書と一碗の茶は
どちらも体験することから
始まる

 

書に関する奥の深さは

日本人としてうれしいことである。

 

白と黒の世界であるが

それだから出来る芸術である。

 

字のうまい下手などの

レベルの遥か上の話となる。

 

さて、著名な展覧会に出展する

となると、さあーたいへん

何が大変かって・・

墨や硯よりも

とにかく紙が必要なのである。

 

先生のところはいつも紙に

埋もれていると言っても

過言ではない

 

またその紙が通常書いている

用紙とは異なり大きく特殊ときて

いるから金額も相当に掛かり

大変なのである。

 

一晩に100枚位書くのだから

当然徹夜で身の周りは紙だらけ・・

押入れを開ければそこには

また新しい紙が束ねてある。

 

そして何日も書き続けて

その中から出展作品を選択する。

体力もいるし作品への執念が

半端ではない・・・

 

名のある先生方はこのように

若い時から修行して現在に

至っているのだからこれまた

素人には分からないレベルに

いることは間違いない。

 

★ある著名な先生の

  展覧会の出来事・・・

  

  見事な字が並ぶ中で

  敢然と中央に飾られている

  作品は ”〇と△”

  はあ・・・うーん・・・

 

好きなように感じて下さい

と言われても・・

どうしたら・・・

「書道大辞典」という全集を扱った

 

とにかく大きな本で写真を鮮やかに

見せるyため紙質を厚くしたので

重いのなんの・・・それがなんと

10巻もある。

 

中国の史跡の写真など貴重な

文字が数多く出てくるので

書道家には必見の本だが

2,3巻持参となるとズシリ・・・

 

以前重くて閉口した鳥山さんの

フラ辞典といい勝負である。

 

書道界には大きく分けて

漢字とひらがなに別れた組織が

中心となる。

早速代表者に

挨拶に行くが個性的な先生が

多く当然ながら前衛的に活動

している先生も多く展覧会では

困ったことがよく起きた。

 

この本の中心人物である

ひらがなの大家のところに

よく通ったが、この神田の

先生は強烈だった。

 

あまりに有名でいろいろなことを

吹き込まれていたので、初めて

お会いした時、自前のビル

の奥に座っていて眼光鋭く

睨まれた時は、すくむ思いで

お邪魔していたのを思いだす。

 

多くの書籍や資料に囲まれて

仕事をしていて余計な話しなど

はとても出来ない雰囲気だった

ビル内には書に関するありと

あらゆるものが置いてあり

書道家垂涎の筆や硯も

キラボシの如く並んでいて

壮観だった。

 

ただ何回となく行き来する間に

噂とは随分異なり大変に真面目で

特に繊細で書に対する愛情に

満ち溢れていた、

 

この全集を完成させるために

全ての時間を注いで多くの作品を

掲載している姿はやはり尋常では

ない

情熱が凄まじいのである。

 

今神田のあのビルはどうなって

いるのだろう・・・






 

男性のフラというと

ほとんどの方は

よくホテルのショーで

やっている裸のファイヤー

ダンスを思い浮かべるが

 

実は日本でレッスンする限りは

女性とは異なり、モダンダンスの

如くで、それも見事にフラの曲に

合っているダンスである。

 

ある大会で隣のご老人(失礼)

と談笑していたら、次は私の

出番と奥に引っ込んだので

誰と一緒に踊るのか見ていたら

なんと一人で出てきて

ソロの出演だったのである。

 

その時の衣裳が白色の

ドレスシャツに黒のパンタロン

腰には飾り首には貝のネックレス

まるでパーティのスタイルである

 

謙遜とは逆に舞台四方に動き

これぞフラの決定版とも

いうべき見事さに私はあっけに

とられた。

 

実にかっこよく

すっかり見入ってしまった。

 

初めて見る人にはこれが

男性のフラかと口あんぐりに

なること間違いない・・・

 

そして足腰が強くないと

とてもじゃないけど踊れない

会場内大拍手の一曲だった。

 

だからいつも知り合いを

カネ(男性フラ)に誘うのだが

手を差し伸べた瞬間に

ツツツーと後ずさり・・・