東北旅情 ~野鳥に観る日本人の原初的宗教~ | 真正保守のための学術的考察

真正保守のための学術的考察

今日にあっては、保守主義という言葉は、古い考え方に惑溺し、それを頑迷に保守する、といった、ブーワード(批難語)的な使われ方をしますが、そうした過てる認識を一掃するため、真の保守思想とは何かについて、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

暮れから新年にかけて東北を旅してきました。

保守派の中には仏教を忌避する方がいますが、歴史に根付いてしまったものに弱い保守思想としては、長い歴史を経て変質した、つまり、土着化した仏教には敬意を払わなくてはなりませんから、平泉中尊寺及び毛越寺を拝観してきました。

やってきたばかりの仏教は来世主義ですが、土着化した仏教というのは、いい意味での現世主義です。

現世が駄目なら来世も駄目に決まってるじゃないか、今をモラトリアムして未来に希望など持てるわけがないじゃないか、と。

 

以前書いたことの繰り返しとなりますが、われわれ日本人の宗教観念は二階建て構造となっており、下部構造には土台としての神道がどっかりと根を張り、上部構造には仏教なりキリスト教なり各々が信仰する宗教が乗っかっている、そういうイメージが私にはある。

 

要するに、生まれながらにしてすべての日本人は神道の信者であり、平衡感覚を重んじる保守思想は、神道か仏教かの単純な二者択一を好まない。

被災地も見てきました。

最大の死者を出した石巻は復興には程遠く、女川では津波で倒壊した交番がそのままの姿でわれわれの眼前に立ち現れ何かを訴えてきます。

なんですって?「寒い時期になんでわざわざ東北なんか行くんだ?」ですって?

ひと言で言えばおのれに課した「行」ですかね。

というのは気障な野郎の言うセリフでして、本音を吐露すれば、蕪栗沼(かぶくりぬま)というラムサール条約で保護されている大湿地帯でオオハクチョウとマガンを撮るのが目的でした。

 

相変わらずちっとも腕が上がりませんが、巨体を風に乗せ悠然と頭の真上を飛んでいくオオハクチョウを眺めていますと、大自然を前に、人間などなんてちっぽけな生き物なんだということを嫌でも思い知らされますね。

 

「何が民主主義だよ、笑わせんな」と。