軟弱クルマお遍路、結願する☆ | でんたくんのブログ

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ゴルフとグルメが大好きなアラフォーです。
瀬戸内海沿岸に生息しています。

友人と四国八十八ヵ所巡りをしていた。
彼女とは20年近い友である。
お互いの都合があわず、足掛け5年での結願となった。
今回、結願のご報告に高野山に参ることにした。


お遍路のきっかけは、仕事の関係と四国グルメ旅をしたかったから。

友人が徳島在住のため、声をかけたら、ふたつ返事でのってくれた。


高野山についてUPする前に、どうしても書いておきたいことがある。


WARNING クルマお遍路さん、カーナビの過信はたいへん危険です。


いつも山門に最寄の駐車場に横付けする私たち。
ところが、60番札所の横峰寺だけは、そうは行かなかった。


カーナビが「目的地付近です」と案内してくれたが、
人もいないし、車もない。
駐車場らしきものが見当たらないため、テキトーに駐車するうう


看板どおり、急な坂道を登っていくわけだが、
歩けど、歩けど、山門らしきものはない。。
それどころか、だんだん道が山道になり、
「えらい遠いなぁ、道まちがえたかな??」「いや、看板があるよ」
などと話ながら前に進む。


次第に「へんろみち」と書いてある5cm×10cmくらいの札のみを頼りに

山中の奥の細道を進むことになる...


日中なのに、生い茂った木々で薄暗い。
落石やがけ崩れで、道が寸断された箇所が随所にある。
次第に霧が濃くなり、視界が悪くなる。
「マイナスイオンばりばりやなぁ~Qooooo
「お肌にいいかもっおんぷ」と笑ったのを最後に言葉を失う・・・・


ふる~いお墓も点在する。
字が読めるものは江戸時代のものがあった。
古くは、お遍路は「口減らし」のためだったそうだ。

家計の負担を軽くするために、老人をお遍路に出し、養うべき家族の人数を減らしたそうだ。
残った家族も、お寺を巡礼していると思えば、心理的負担を軽減できた。

だから、お遍路は白装束を着ることになっている。

いつ行き倒れてもよいように...
こうしてお墓のある方は幸せだったかもしれない。


しかし、私たちは軟弱クルマおへんろである。
水はもちろん、アメすら持っていない青スジ


こうやって遭難するんだ...


心の中で、そう思いながらも、ひたすら登ろうと腹をくくった・・・
言葉にすると現実に遭難してしまいそうだから。
相方の気持ちを折ってしまいそうだから。


相方も無言だ。

ただ、淡々と、粛々と歩みを進める。


ふいに、私の人生で最難関コースに挑んでいたときのことを思い出した。
ゴルフコースではない...


あのときも、彼女と一緒に挑んでいた。
正直、押しつぶされそうな日々だったガクリ。 相当つらかったううっ...


でも、お互いに「もうムリかも...」とはゼッタイ言わなかった。
ただ、淡々とその日にできることをこなしていった。

その積み重ねだった...


2時間ほど登ったら、雲海が広がる山並みが見渡せるようになる。


ついに、山門に到達した泣!!


まず、水を買って一気に飲み干した。


私たちの様子を見た先達さんが「どこからきたの?」と声をかけてくださった。

どうやら、お寺に横付けできる道路ができていたらしいえ゛!
当時の車のナビが新道に対応してなかったようだ...


この横峰寺、四国八十八ヵ所の中で最も険しい難所で、
石鎚山の中腹740mの奥深いところにある。


「よくがんばったから褒美をあげよう」と先達さんから「金の納め札」をいただくにこ
金のお札は50回以上お遍路をした人が納めることができる特別なものだ。
お札はお守りになるそうだ四つ葉


登ったからには、降りなければならない○| ̄|_
車のところに再び戻ったのは駐車から5時間後だった。
その後、遅い昼食を摂った。
お互い同じことを想いながら、歩みを進めていたことがわかった。



やっぱり、ふたりは戦友だね☆