

先ずは、誕生日の事から
★ Thank you ★



花☆花
【ハボタン(葉牡丹)】

ハボタン(葉牡丹)は、重なり合ってできた葉をボタンの花のように美し いことから付けられたそうです
元々、野菜としてオランダから持ち込まれたキャベツかケールが、観賞用に日本で品種改良!
英語では
・「Flowering kale(花のようなケール)」
・「Ornamental kale(観賞用のケール)」
・「Ornamental cabbage(観賞用のキャベツ)」
✤菜の花の仲間ですので、放っておくと、薹(とう)が立ち、菜の花に似た可愛らしい黄色の花が咲きます
花言葉
「祝福」「物事に動じない」「利益」
「祝福」は、ハボタンが縁起の良い植物として、正月飾りの寄せ植えなどに使われてきました。
「利益」は、三国志の時代に活躍した諸葛亮孔明が戦場でキャベツを食料にしたという故事からきているなどと言われています。
(諸説あります)
じゃ~!質問!?
●キャベツやケールの仲間なら、食べられるんじゃない?
観賞用として流通していますので、残留農薬の心配などから、基本的に食用は不可です。
●タネから農薬不使用で育てたものなら食べてもいいの?
食用として流通していない品種などを食べる場合、あらかじめ、毒性などについてしっかりと確認しておく必要があります
【梅】




下北沢からも下北線路街を歩いていける羽根木公園で開催されている『第46回 せたがや梅まつり』。


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お花見の歴史やルーツ
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奈良時代は桜<梅だった!?
花見といえば、恐らくほとんどの人が「桜!」と答えるよね?
でもね、花見といえば梅が当たり前!なんて時代もあったようですよ
実は、奈良時代の花鑑賞といえば梅の花が一般的だったようです。
その証拠に、奈良時代に作成された万葉集を見ると、桜よりも梅を詠んだ歌のほうが多いんです。
梅は約120首あるのに対し、桜は約40首。
梅が随分人気だったことがわかります。
では、いつから花見には桜が一般的になったのかなぁ!?🤔
日本独自の文化が発展
花見に桜が愛でられるようになったのは、平安時代。
平安時代に作られた古今和歌集では、
梅を詠んだ歌が約30首に対し、桜を詠んだ歌が約60首。
奈良時代とは違い、桜と梅の人気が逆転しています
この背景には、遣唐使の廃止が関わっています。
遣唐使が派遣されていた時は、中国文化の影響を強く受けていました。梅の花もその一つです。
遣唐使が廃止されたことにより、日本独自の文化が発展し始めます。
そのため、日本に古くから自生していた桜に注目が集まったわけです。
宴会型の花見は秀吉発信
平安時代までは花見といえば貴族の中での文化でした。
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鎌倉時代になると武士たちの間にも広がります。
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さらに、安土桃山時代になると、花見の内容にも変化が起こり始めます。
今までは、庭にある桜の樹の下で、優雅に歌を詠むというような花見でした。
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この頃から桜の下で酒宴が行われるようになります。
宴会型の花見は、かの有名な豊臣秀吉から始まったと言われています。
秀吉は、今でも桜の名所として有名な醍醐寺に、大勢の人を招いて大規模な花見を開催しました。
現代の花見の原型は、この時代に形成されていたようです。
農民と貴族文化の融合
貴族が梅を愛でることから始まった花見ですが、実は花見のルーツにはもう一つあります。
農民の間では、春になると、冬をもたらす山の神様を送り返し、春を呼ぶ田の神様を迎える「春行き」「春山入り」というものが行われていました
具体的には、桜の下で持参した酒や食べ物を飲み食いして1日を過ごすというもの。
その時、桜の色や開き具合いを見て、その年の豊作を占っていたとも言われています。
農民の間ではこれが「花見」でした
江戸時代になると、貴族発信の花見とこの農民発信の花見が、都市の庶民の間に広がりました。
後に2つの花見は融合し、娯楽としての花見に形を変えて定着していったのです。
私たちが行っている花見というのは、長い歴史の中で、その時代やその文化に合うよう様々に形を変えて今に至っているのね
そう考えると、少し感慨深いものがあるわね
桜の下でどんちゃん騒ぎをするのも良いですが、花見の歴史的な背景やルーツに想いをはせながら、しっとりと桜を鑑賞するのも良いんじゃ無いかなぁ?
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