生まれ育った茨城県稲敷郡阿見町へと探検
先ずは、予科練平和記念館に
館内写真禁止だったのが残念。
是非、足を運んで欲しいところです。
パンフレットより
14歳半から17歳までの少年を全国から試験で選抜。
貧困な生活を思い自ら希望して、、
搭乗員としての基礎訓練をするもので、飛行予科練習生制度が始まる。
終戦までの15年間で約24万人が入隊し、うち約2万4千人が飛行練習生課程を経て戦地へ。
中には、特別攻撃隊として出撃したものも多く、戦死者は8割の約1万9千人にのぼりました。
家族へ宛てた手紙を読んだら涙なみだでした。
最後の別れとなる日に
「明日、戦地へ向かいます。家の辺りを飛びますので空からご挨拶します。」
子供として甘えたかったと思う。
家族でご飯を囲み、やりきれない気持ちにもなったけど、貴方がたが居たから今があると思います。
決して戦争はしてはならない!!
無駄にする事になるよね
二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)ゆかりの化粧廻しの展示
この化粧廻しは、阿見町に部屋を構えた二所ノ関親方のご厚意によって展示されています。
なお、化粧廻しのみご観覧の場合は、無料でご入館できます。
【予科練と相撲】
予科練では体力と精神力を養う目的で相撲が盛んに行われていました。
予科練での相撲の特徴は「負け残り」で、勝つまで土俵を下りることができないという厳しいものでした。
また、予科練のあった土浦海軍航空隊には、昭和16年(1941)9月26日に第35代横綱双葉山一行が訪れ、盛大に土俵開きが行われました。
折角来たので、二所ノ関部屋も行って見ました。居ませんでしたけどね
最後に牛久大仏に
子供たちが小さい頃に出来たての頃かなぁ?
当時の面影が無かった
儲かってるのね?!ww
阿見町には小学校4年までいたんだけど、
すべてが栄えていました。
住んでた家も無いだろうと行って見なかったけど、懐かしくもあり楽しい日でした。
◯◯総理!!
予科練平和記念館に行って学べよ。
本当に言いたい!!
以上です。
またね♡