「目的の確認  循環の意識」

ファスティングの指導で気をつけていることは、これだけです。

(^^) でもこれ、「健康」についてだけでなく、
人生におけるいろんな分野での解決方法が、
この2つ集約されていると思います。

ゴールがなければ目指せず、
循環の意識がなければ繋がれません。

心。身体。社会。地球。
健康。経済。スピリット。

問題は大抵、「人」と「人」との間、
もしくは「今の自分」と「違う自分」の間で起こります。

この問題が起こった時に、
目的の確認と、循環の意識が、とても重要になってくるのです。

いつも問題にぶつかった時、
この2つを自分に問いかけます。

本当の目的は?
これは、循環の法則に則ってる?

循環を意識する事はとても大事で、
社会や相手に還元する意識がある人の方が、
健康も経済も良い循環を起こしている人が多いように感じます。

循環の根本は、未来との繋がりだと思っています。



今年も「Xマスカード」活動が始まる。

日本に生まれて良かったな、と思うのが、日本って、いろんな神様がいて、みんながいろんな神様を認めてるとこ。

神様って、人間ではないものそのもの。

私たちは、身体の中に誰もが宇宙を持っていて、神様を宿している。

また同時に、自分の外側の世界にも宇宙があり、神様がいることを知っている。

その「神様」をひとつの神様とするか、別々の神様とするかは、文化ごとの解釈の違いだけれども、

日本人は、
畏敬の念を持って人間ではないもの全てに接するという意識が自然と根付いているので、
良いなぁと思う。
どれが正しいとか正しくないとかではなくて、
どれもが自分という人間との関係性で成り立つ事なのだと分かっているから、
良いなぁと思う。

文化というものは、独自でオリジナルがあり、別々に発達するからこそ文化として認められ、
「他と違う」ということそのもののが価値を持つ。

「違い」を許容できるというのは、器の大きさだと思うのです。

神様の定義を論議するつもりは毛頭ないけれど、
色んな国に行き、色んな文化に触れて思うことは、
皆、同じことを言っているのに、違うもののように接しているのが勿体無いなぁと。

私は最初、それは、相手の気持ちを尊重して棲み分けているのかと思ったけれども、
どうやらそうでもなくて、
自分の正しさを主張しあって、結果的に分かれているという現象が起きているようで、
何か本当に勿体無いなぁと感じます。

でも、一方で、グローバル化という言葉で文化が均一化していくつまらなさも感じていて、
やっぱり、そうやって、自分の文化を主張しあうことも、
そう悪い事ではないな、
と思ったりもします(笑)

つまり、
どっちでもいいんですよね(笑)

人間が、幸せなら、どっちでもいい。

神様が望んでいることは、
全ての生命の喜びと幸せであることは、
間違いないんです。


私は赤ちゃんが大好きで、
一般的に、赤ちゃんや処女という「無垢なるもの」に対して、神様を感じるものですが、
特に赤ちゃんは、
人間が起こせる奇跡の中でも本当に一番素晴らしい奇跡で、
ゼロから「命を生み出す」という魔法が起こるわけです。

2011年。
日本で多くの命が一度に消えました。

神様から、人になり、地に戻され、想いだけが残りました。

「Xマスカードを被災地の子供たちへ届けよう!」
という活動を父と始めた時は、
その消えた命への鎮魂の意味もありました。

「生き残って申し訳ない。」

そんな気持ちを抱いている人もいると知り、命ってなんだろう?と思いました。

両親ともに亡くした子供もいます。

家族全員が消えたお父さんもいます。

「人」というのは、
天と地の間に命を繋いでいます。

どう生きるかではなく、
生きてる自体を後悔すること。

それは、全ての生命も否定することです。



「生き残って申し訳ない。」

その言葉を聞き、本当に本当に悲しいことだと思いました。
そう思ってしまう状況の辛さに絶望もしました。
辛過ぎる、可哀想過ぎると、思いました。


でも実は、私も、母が亡くなった時に、そう思ったのです。
だから、そう呟いた人の辛くて痛い苦しみが、理解できました。

本当に辛い事です。
自分の命を否定するような状況を作った大震災を、忘れてはいけない、そう思います。

私ができることをやろう。
ただただそう思います。

私は、辛かった時に、多くの人に救ってもらったから、
その恩返しを、東北の方に受けてもらえたら嬉しいなと思います。


「生きる事を諦める」それだけは、絶対にさせません。

震災後を生きる、こととは、大きな悲しみを背負った向こう側に、
強く太く大きく、人生を作る力を、得る可能性があるということ。

だからこそ、
それが分かるからこそ、
生きる事を諦めること、
それだけはしないでもらいたいと思うのです。


私は、私ができることをしよう。

そう思います。

人は、助け合って生きていく生き物だから。

お金は足りなくなると、欲しくなる。
だから、いいんじゃない?
今が稼ぎ時なんじゃない?

出来ないこと捜しをしよう。

生みの苦しみなのか、
成長の痛みなのか、
バタバタとストレスフルな事が起こっている。
全て、良い方向に向かってはいるけれども、
「うまくいってる時こそ、
地に足をつけて行動しないといけない」
という言葉が頭にリフレインする。
ゆっくりしか変われないの。
と、嘆く人がいます。

それはウソです。

思考は、光速で変化します。

ちらりとでも、自分の可能性を考えたならば、

その瞬間からもうあなたは変わっているはずです。

変わっていないと思っているのは単に、

変わったのに、「やっぱり無理」と、諦めて、
「変わっていない自分」に戻って、
「変わっていない自分」を選んでいるだけです。

分かりますか、言ってる意味?

変われない自分を選ぶのも、
変わった自分を選ぶのも、自由だし、
誰かに認めてもらう必要なんてないんです。

だから、「今」、「変わった自分」になればいいんです。

思考は、光速で変わります。

何度だって、理想の自分になればいい。

何度だって、ダメな自分になればいい。


人は、成長し、老けていくことを運命づけられています。

時間は限られている。

120歳まで生きられるとしても、

理想的に身体を動かせる時間は、それよりも短い。


人は、光速で変われます。



変わり続け、変化していく自分を楽しみましょう。




あなたは今、どんな自分になりたいですか?



どうですか?

「今」、なれましたか?^^


なりたい自分に、なれましたか?



私の中には3人の私がいる。

一人は、知性の私。
一人は、感情の私。
一人は、意思の私。


三人は、常に同時に物を考え、意見を言っている。

感情の私が怒りや不安を口にするときは、
声が大きいので、どうしても「私」は感情の私に耳を傾けてしまう。

けれども、
一瞬、感情の私に意識を取られてしまっているだけで、
そこには知性の私も意思の私もそこに居る。

3人が3人とも同じように成長しているわけではなく、
3人の誰が一番えらいわけではない。

一番大きな可能性を秘めているのは、意思の私。
一番時とともに着実に成長するのは、知性の私。
けれども、感情の私が一番強い。
感情の私はとてもパワーがある。

けれども、最もパワーが強いのは、
この3人が、同じように成長し、手を組み合う時。

3人が手を組み、
意思の私がふさわしい成長をした時、
そこに、新たなステージがあらわれる。

3人のトリニティが完璧な正三角形をとれた時、

本当の私がたちあらわれる。

本当の私は、この時に初めてあわられるわけではない。

常に「在る」にも関わらず、3人の目にはうつっていない。

3人が手を取り合い、本当の意味で、協創を始めた時に、

しっかりと、本当の私というものが、見えるようになるのだ。


知性の私
感情の私
意思の私


今の自分は、どの私か、常に考え、
今の自分が、どの私か分かるようになったら、
その私を、同時に選ぶようにする。

そうすると、本当の私になる時間が増えて行く。



今というのは、揺らぎの中に在り、決して、これ、この私、というのはありえない。
けれども、一度、止めてみる。
「この私」になってみる。
そして、「この私」を選ぶ。

そして、本当の私というものを探る。


その行為そのものが、人生なんではないだろうか。


それを意識するかしないか。


それは「意思の私」にかかってくる。


生命というものは、滅し生まれる。

社会というのは、人間の感情が現実に創ったもの。

その中で、自分という私を、どうしたいのか、
時間内のルールの中で、どうしたいのか、
意思の私が決めた時、
本当の人生が始まる。

これは、年齢など関係ない。
0歳でも、1歳でも、5歳でも、15歳でも、20歳でも、60歳でも、90歳でも、120歳でも、
意思の私が、その時の自分の生命体という縛りの中で、
ふさわしい決断をしたならば、
すべてが動き出す。


意思の私が、理想を描き、理想の通りを、
感情の私と理性の私にきちんと伝えることができたならば、
動きは加速する。

加速した先にあるもの。

そこには、喜びしかない。

意思を実現する、最高に面白い人生。


今、あなたは最高の人生の中にいますか?



あなたは今、


どの私ですか?



目下の悩みは、日々のごはん作りのスピードアップ!
丁寧に作るのと、時間をかけるのは、意味が違うんだぞー
と自分に教えつつ、手際良くぱっぱと行うにはどうすればいいのか、毎日毎日試行錯誤です。

人間の学びには段階があって、
まずは修得、そして、習熟→極める。
習熟のステージまでいけると、
習う料理人側の手際を見る余裕ができるようになるので、
また一段階上に上がることができますね。

母には料理をいろいろ教えてもらいましたが、
手際の良さまで学べるほど自分のレベルが高くなかったので、
母が生きてる間にもっと料理を学ぶ時間を割いておけば良かったな~と思います。


丁寧に、手際良く。

仕事や生活全てを通して、大事にしていきたい事です。


目の前にいる人は、目の前のいるまま人のままで理解すれば良いと思います。

もしかしてこう思ってるのではないか?と勘ぐっても、その勘ぐった先の顔のその人に会う事はないし、
そこまで自分の時間を相手に割く必要はないと思います。

人は想像する動物。

想像は、
妄想とも、希望とも、分析とも、遊びともとれるので、
そこを丁寧に分けてきましたけれども、
もう最近はめんどくさくなっちゃって(笑)
手放しで目の前のものを信じるだけにしてます。

騙されても別に構いません。
だって、目の前の人が好きならそれでいいじゃないですか。
好きでない普通の人なら、何も深く踏み込む必要もない。


幼稚園の時に、

ごめんなさい
お願いします
ありがとう

が言えたら大丈夫と習いました。

社会に出て、あ、ホントだーと思いました。

想像するのも良いけども、
この3つを言ってみたら、
すぐに解決することっていっぱいあります。


人は、
目の前にあるもの以外も信じるんですよね~。

目の前の真実が、真実なら良いのに。
とか言われると、
じゃあ、あなたの真実は一体何をどうやって確認するの?
と不思議に思ってしまいます。
でも、
まあそれも楽しんでるなら別にいいのか~?