今年も「Xマスカード」活動が始まる。
日本に生まれて良かったな、と思うのが、日本って、いろんな神様がいて、みんながいろんな神様を認めてるとこ。
神様って、人間ではないものそのもの。
私たちは、身体の中に誰もが宇宙を持っていて、神様を宿している。
また同時に、自分の外側の世界にも宇宙があり、神様がいることを知っている。
その「神様」をひとつの神様とするか、別々の神様とするかは、文化ごとの解釈の違いだけれども、
日本人は、
畏敬の念を持って人間ではないもの全てに接するという意識が自然と根付いているので、
良いなぁと思う。
どれが正しいとか正しくないとかではなくて、
どれもが自分という人間との関係性で成り立つ事なのだと分かっているから、
良いなぁと思う。
文化というものは、独自でオリジナルがあり、別々に発達するからこそ文化として認められ、
「他と違う」ということそのもののが価値を持つ。
「違い」を許容できるというのは、器の大きさだと思うのです。
神様の定義を論議するつもりは毛頭ないけれど、
色んな国に行き、色んな文化に触れて思うことは、
皆、同じことを言っているのに、違うもののように接しているのが勿体無いなぁと。
私は最初、それは、相手の気持ちを尊重して棲み分けているのかと思ったけれども、
どうやらそうでもなくて、
自分の正しさを主張しあって、結果的に分かれているという現象が起きているようで、
何か本当に勿体無いなぁと感じます。
でも、一方で、グローバル化という言葉で文化が均一化していくつまらなさも感じていて、
やっぱり、そうやって、自分の文化を主張しあうことも、
そう悪い事ではないな、
と思ったりもします(笑)
つまり、
どっちでもいいんですよね(笑)
人間が、幸せなら、どっちでもいい。
神様が望んでいることは、
全ての生命の喜びと幸せであることは、
間違いないんです。
私は赤ちゃんが大好きで、
一般的に、赤ちゃんや処女という「無垢なるもの」に対して、神様を感じるものですが、
特に赤ちゃんは、
人間が起こせる奇跡の中でも本当に一番素晴らしい奇跡で、
ゼロから「命を生み出す」という魔法が起こるわけです。
2011年。
日本で多くの命が一度に消えました。
神様から、人になり、地に戻され、想いだけが残りました。
「Xマスカードを被災地の子供たちへ届けよう!」
という活動を父と始めた時は、
その消えた命への鎮魂の意味もありました。
「生き残って申し訳ない。」
そんな気持ちを抱いている人もいると知り、命ってなんだろう?と思いました。
両親ともに亡くした子供もいます。
家族全員が消えたお父さんもいます。
「人」というのは、
天と地の間に命を繋いでいます。
どう生きるかではなく、
生きてる自体を後悔すること。
それは、全ての生命も否定することです。
「生き残って申し訳ない。」
その言葉を聞き、本当に本当に悲しいことだと思いました。
そう思ってしまう状況の辛さに絶望もしました。
辛過ぎる、可哀想過ぎると、思いました。
でも実は、私も、母が亡くなった時に、そう思ったのです。
だから、そう呟いた人の辛くて痛い苦しみが、理解できました。
本当に辛い事です。
自分の命を否定するような状況を作った大震災を、忘れてはいけない、そう思います。
私ができることをやろう。
ただただそう思います。
私は、辛かった時に、多くの人に救ってもらったから、
その恩返しを、東北の方に受けてもらえたら嬉しいなと思います。
「生きる事を諦める」それだけは、絶対にさせません。
震災後を生きる、こととは、大きな悲しみを背負った向こう側に、
強く太く大きく、人生を作る力を、得る可能性があるということ。
だからこそ、
それが分かるからこそ、
生きる事を諦めること、
それだけはしないでもらいたいと思うのです。
私は、私ができることをしよう。
そう思います。
人は、助け合って生きていく生き物だから。