それはルール?

ルール=規則=多数決で決まった合理的な社会の約束事

世の中に法律というルールはあるけど、
「常識」というルールは無い。

「常識ですよね?」と言われる時、
相手が学んできた社会規則と信じているものを伝えたくて訴えてきてる状況が発生しているんだなと思いながら聞いてます。

頭の中で、
この人は、法律とか国際法とか宗教とか学んだ人かな?
育った環境文化のどれに則して話そうとしてるのだろう?
私が知らない点はどこかな?後で調べてみよう。
この人が単に感情発散としてぶつけて来ていた場合、私から得たい結果や利益は何だろう?
私自身は、どうするのが良いだろう?
合理的に考えて、Win-Winの落とし所はどこだろう?
後で皆んなとの学びに、今の話はネタになるかな?
そんな風に思いながら、話を聞いてます。

なので、
私はツリ目で怒り眉で、話を集中して聞いている時に無表情になってるらしく、勘違いされやすいのですが、
私は否定しようとしてるわけではありません。
#ここ1番言いたいポイント
#きっと相手に伝わってないから書いておこう
#口角は意識的に上げて私は怒ってませんよアピールしておこう

常識って、十どころでなく百人百色で、
たくさん学びにはなるけど、
頭がいっぱいになってしまいますね。。

だから人は自分と同じようなタイプの人と一緒に居ると安心するのかなと思いますが、

チームビルディングで物事を考えると、
違う才能、違う性質、違う常識を持っている人たちと組んだ方が、
先進的で合理的な良いものが生まれるように感じるので、

自分の中に生まれる「(はぁ…また私の知らない常識が来ちゃったよ…私はなんでこんなに知らないんだろうツラたん…)」というのは封印しつつ、
その時その場で目指してるゴールに則して、
学びと成長に意識を集中するようにしてます。

世の中、知らないことがまだまだいっぱいあって面白いですね。

声をかけて助け合う事は大事。


でもある程度になったら、

距離を置く事も大事。


誰かが、何かが隣に居る事が

当たり前だと思ってしまうと、


日常の中で大切な事が、

分からなくなってしまうと思うから。


家族、友人、仲間、社会、地球、


大事だと思うものを、


大切に出来る距離で見守る事もまた、


相手を大事にする事だと思う。


ただ、いつどんなタイミングで誰をどのようにというのは、いくつになってもどんな経験を積んだとしても、Liveで変化していくものだから、すべてが把握出来る様になるなんて事は、一生無いだろうなとも思う。


だからこそ、

人は変わらぬものに憧れ続けるのかなとも思う。


じゃあどうすれば?と結局悩むかと思いますが、


ポイントは、


いつだって自分が自分の心を裏切らないよう、自分の心の声を聞いてから判断する事を、諦めないという事。


無理に周りに合わせず、

耳を自分に傾ける。


そうする事で、

相手の心にも耳を傾ける事が、

出来るようになる。


そうしないと、

一瞬一瞬、

自分への裏切りが積み重なり、


いつしか自分の心の声が

聞こえなくなるから、


時間がかかっても

一瞬一瞬を大事にする事が、

最も自分と他人を幸せにする事が出来る力になる。

わたしってちっちゃいなあ〜

そんな風に思いながら、

何もしなかった時期がありました。

 

今は、

わたしってちっちゃいなあ〜て思いながら、

ただ、

ちいちゃいことはできるから、

ちいちゃいまま、

ちいちゃいことコツコツやろうっと。

って、

ちいさい自分を良しとすることにしました。

 

何年何十年もやってると、

ちいちゃくてもそれなりの形になってくるもので、

自分の体が覚えてくれて、

力が蓄財できているなあと感じられる時があります。

 

歳を取ると、

もう無理はできないと感じる人もいるかもしれませんが、

私は、歳を重ねたことで、

もう無理はしなくても良いんだなあと、感じています。

 

そうやって、日々の暮らしを丁寧にできることが、

自分の心に安心を作ってくれているな〜って感じます。

 

まだまだ知らない事がたくさんありますが、

今までの道を振り返ると、

思った以上に色々なことをして来ているし、

まあまあ焦らず、

ちょびっとずつでも新しいことを学んで取り入れていけたら、

楽しい日々になるんじゃないかなあって、感じます。

 

安心できる人たちと、安心できる毎日を、なるべく長く創っていきたいっていつも思っています。

人生の目的とは、何か?


深そうで深く無い答え、それは、


「人は、幸せになる為に生きている」


という事。


つまり、


あなたの「幸せ」は、何ですか?


その答えをあなたが見つけたら、


人生の目的探しの旅は、終わる。


そして、


「幸せを感じる」力が強い人は、


ずっと充実した人生を、


死ぬまで続ける事ができる。



共に、



「幸せ」になろう。




あなたには、その資格がある。






「幸せ」でいよう。




あなたは、ずっと「幸せ」でいて良い。




あなたの人生は、あなただけのもの。





大切なあなた自身が、

ずっと幸せでありますように。



私はずっと願っています。




真理が一つなのであるならば、


私が生きてる意味なんて無いじゃ無いかと思った。


だってもう世界は、解き明かされている。


私なんか、いらないじゃ無いか、と。


だから、私は、生きてる理由が欲しかった。


そして、探した結果、私は、答えを見つけた。


私が、誰かの役に立つ人間だ、という証明をし続ける事が、


生きる、事だと思った。


死んだって、生きたって、どっちだって良いけど、


「生きることを選ぶ」のなら、


生きようかな、と。


「誰かの役に立つ人間だという事を、証明し続け」ようかな、と。


それは、どんな形でも良いはず。


私が「生きている」と、感じられれば、


どんな事ででも大丈夫。

私は何者でも何でも無い。


それで良いし、それが良い。


ネイキッドな私が、


一番、私らしいし、


一番、大好き。


きっと、皆んなもそう。


大事にしていきたいよね。


ずいぶん、遠いところまで歩いてきたんだなぁ。


過去の自分を振り返ると、

そう思う。




若い頃は、何を積み上げれば良いのか、

全然分からなくて、


今も分かったとは言い難いけれども、


色んなことが繋がりだすと、

あぁ、この道で良かったんだと、

そう思う。




必死に働いてきて、


たくさんの不運と、

たくさんの回り道をしてきたなって、

いつも思っていたけど、


無駄な事は、

何ひとつ無かったんだなと、

今はそう思う。




そして、

これからもきっと、

未来に何が起こるかは変わらず分からないし、


面白い未来にするかは、

自分次第なんだなと、

そう思う。




またきっと、

この感覚を見失うんだろうな、

というのも分かる。


きっと、人間てそうなんだ。


孤独や寂しさを感じるから、

人間なんだもん。


だから、

こうやって本当は皆んなと簡単に繋がっていけるのに、

また孤立したような気分になって、

自分が繋がっていく感覚を、

忘れていってしまうんだろうなと、

そう思う。




忘れたく無いな。


忘れたく無い。




誰もが、

誰かの役に立てる。


誰もが、

自分の力で自分を変える事ができる。



誰もが、

世界の片隅で、

あなたを待つ人と出逢える。



オープンマインド。



怖かったとしても、

心を開こう。



悲しみや、苦しさや、恨みや、怒り、恥ずかしさ、情け無さ、

そして、寂しさを、

誰もが持っていて、


誰にも助けてとは言えないいくじなしな心も持っていて、


完全に誰かを助ける力なんて、

誰も持っていないという事は、

分かっているけれど、


心を寄せ合い、

言葉を掛け合い、

痛みを癒し、

勇気をもらい、

また明日へと歩み出す力を、


出し合う事は、できる。


そうしてまた、

小さな一個ずつを、


諦めずに、


丁寧に、

丁寧に、


確実に、一個ずつ、


積んでいけば良い。


何度だって、


いくらでも、


大丈夫。


そこは決して、マイナスからのスタートでは無くて、


常に、

生きてるだけで、

決心しただけで、


常に、

そこは、プラスからのスタート地点。



さてまた、

新しい扉を探して開けてみよう。



また自分が誰かの役に立てるはずだから。

人間に運命付けられているものは、

 

生まれること

生きること

生むこと

育てること

死ぬこと

 

生まれることも

生きることも

生むことも

育てることも

死ぬことも

 

自分の意思と反して運命付けられている

「体=細胞」が、行うこと。

 

なぜこの世に生まれるために細胞を分裂させて生まれるのだろう

なぜ食べて寝て笑って泣いて怒って生きるのだろう

なぜ交配し生むのだろう

なぜ育てるのだろう

なぜ死ぬのだろう

 

この「なぜ」には、答えはない。

 

それ以外の運命というのは、

 

何もない。

 

だから、

それ以外の運命というものは、

創ることもできる。

 

「運命」という名の下に、

 

自分の人生を切り開くのは、

 

自分だ。

暗い暗い病。というのが、在る。


暗い事ばっかり考えてるうちに時間ばっかり過ぎて暗い人生を歩み、

そういう考え方がいつの間にか一般的だと誤解してそれを押し通すうちに、

暗い暗い暗いを周りに伝え続けて、

暗い暗い人生を歩んでいく仲間を集めていく。


暗いのと、真剣さは、別物だ。


暗いのと、問題意識も、別物だ。


暗い過去を明るくしようとする労力は要らない。


過去が暗いも明るいも関係無い。


過去は未来を明るくする為に学ぶもの。


暗い暗い病にかかってる兆候としては、


①暗い未来を主張してる時。


②昔は良かったと過去を美化してる時。


③暗いをネタにも出来ず、動きが止まってる時。


暗いをネタに出来て、

過去より今の方が良くて、

明るい未来を創り続けてる。


そんな人は、

暗い暗い病にはかかってないね。(笑)


病気の治し方は一瞬。


「アホらしい〜〜!!!」


と、大声で叫んで、そこからパッと離れる。


それだけだ。笑笑


さて、

では、

これから皆んなで、

明るくて楽しい未来を創ろうか ^ ^

世界的視点を持つことで見える事はある。

でも、

全部を把握しなくてはならないという事はない。

何故なら、世界のあらゆる場所に自分が存在する訳ではないからだ。


知ったところで、

全てを解決出来る訳ではないという事を、

理解しておく必要がある。


全知、という欲望を抑え、

現実化出来る選択のみにできる事を狭めていく事が、

未来を誠実に変えていく。


たった一つ必要な基準は、

自分が感じる「幸せ」という感覚だ。


まず、

何を幸せと感じるか?


どれがあれば幸せか?


その基準だけが明確であれば、

膨大な可能性から必要なものを取り出して、自分の幸せを形作る事は可能になって行く。


器と呼ぶものは、

自分の幸せの総量を増やしていく行為に他ならない。


人と対話する時に聞く時に、

その人の話ではなく、

その人は何を幸せと感じているかどうかを基準にする事で、

コミュニケーションは良好になっていく。

そして、

「その先」へと、コミュニケーションの内容は変わっていく。