『正氣歌』解説本 その2


  編著 小林 隆
  共著 横尾 桂一



 先づは最初に、支那の文天祥の『正氣歌』からお話ししたいと思つてゐます。
 この文天祥といふ人の人物はどんな人であつたのかから解説させていただきます。


文天祥

 (1236年~1283年)

「變に臨み危難に逢つても節義を全うし誠を尽くせる人というのが、本物の人物なのであろう。だからこそ志士たちは、こぞつて天祥を敬仰したのである」(皇學館大學准教授渡邊毅氏)


 このやうに讃へられた人物天祥こそ文天祥です。

 文天祥は、南宋の終り頃の人で、日本でいふと鎌倉時代初期に當ります。

 滅亡する宋と共に其の節義を貫き死んで行きました。

 當時、蒙古が元帝國とならんとする時期で、その蒙古に因つて南宋が滅亡の危機に陷つて居ました。

 この時期に南宋の右丞相であつたのが文天祥でした。

 何としても滅亡を距がんと戰つてゐたのですが、結局敗れて蒙古軍に捕まつて大都(現北京)に護送されます。

 その途上、文天祥は絶食による自裁を圖るも果たすことができず牢獄に入れられてしまひます。

 大都では、元によつて厓山に追い詰められてしまつた宋の殘黨軍に降伏文書を書くやうに強要されるも、文天祥は、漢詩を作りこれを拒絶します。

 その時に作られたのが天祥のもう一つの名高い詩「零丁洋を過ぐ」であるといはれてゐます。

 その漢詩をこゝに擧げて見ます。


零丁洋(れいていやう)を過ぐ

     文天祥

辛苦(しんく)遭逢(そうほう)一經より起る。
干戈(かんか)落落(らくらく)たり四周星(ししゅうせい)
山河破砕風絮(ふうじょ)を漂はし。
身世(しんせい)瓢揺(ひょうよう)雨萍(うへい)を打つ。
皇恐(こうきょう)灘邊(だんぺん)皇恐を説き。
零丁(れいてい)洋裏(ようり)に零丁を歎く。
人生古より誰か死無からん。
丹心を留取して汗靑(かんせい)を照らさん。



辛苦遭逢起一經、
干戈落落四周星。
山河破碎風飄絮、
身世浮沈雨打萍
惶恐灘頭説惶恐、
零丁洋裏歎零丁
人生自古誰無死、
留取丹心照汗靑


(現代語譯)              

 經典を學んで起用されて以來、あらゆる辛酸に遭遇し、幾多の戰いに從事すること四年。
 その間、祖國の山河は悉く破壊され、風が柳絮を吹き拂ふが如く、わが身も雨に打たれる浮き草のやうに搖れ飜つてゐる。
 さきに惶恐灘の畔では、惶恐すべき話を聞いたし、今この零丁洋では文字通り唯獨りになつてしまひ落ちぶれたやうに見ゆる。
 しかし、人間誰しも昔から死なないものはゐない。
 せめてこの赤誠の心をこの世に留め置き、史書の上に輝きたいものだ。



 この詩を詠んだ時、思ひ出すのは萬葉集にある山上憶良の和歌です。

 その歌は


(をのこ)やも空しかるべき萬づ代に
  語り繼ぐべき名は立てずして



になります。

 この憶良の和歌は、

「男子たる者、虛しく朽ち果ててよいものであらうか。後世にその名を語り繼がれるほどの功績を殘さずして」

といふ意味になります。

 この和歌に比較して、文天祥の漢詩は背景が牢獄にて作られてゐるといふ事から考へたならば將に鬼氣迫るものがあるやうに思へてなりません。


(次回に續く)