■撮影日:2018年10月28日■
この日は復元工事が進められている(旧)台湾総督府交通局鉄道部庁舎を撮影してきました。それでは当日の収穫を。。。
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台北の朝
この日は朝7時に起床、帰国前に台湾総督府鉄道の旧庁舎を撮影するため西門から北門付近まで歩いて移動します。
台湾総督府交通局鉄道部庁舎
この庁舎は日本統治時代の1919年に台湾鉄路管理局の前身である台湾総督府交通局鉄道部の庁舎として建てられたものです。
建物はチューダー形式と呼ばれるものです。当時、台湾総督府土木局に所属していた森山松之介技師が設計、留学先だったイギリスの設計思想が強く反映されているようです。
入口の戸口はアーチ状で、れんが造りの外壁に人造洗い出し仕上げの円柱の装飾が施されています。
この部分には中央バルコニーとエントランスがあるようです。
2階部分には熱帯地域特有のバルコニーが設置されています。
この庁舎は1945年の第二次世界大戦終戦により中華民国政府が接収して台湾鉄路管理局に改組、1990年5月の5代目台北駅舎(新庁舎併設)が完成した事に伴い使用を終了しました。
この旧庁舎は閉鎖後、暫く放置されてきましたが、2006年に台湾博物館が中心となって「台湾博物館系統計画」を策定、台湾総督府交通局鉄道部庁舎も復元されたうえで鉄道博物館として再オープンする計画になっています。
庁舎部分の復元工事はほぼ完成、現在は2019年のオープンに向けて周辺の付帯施設(台北工場や食堂、八角楼、電源室、工務室、戦時指揮センター)などの修復が進められています。
オープン後は庁舎内にも展示部が設置されて見学できるようになると思われます。
食堂・経理部門
1933年に建てられたもので1階が職員食堂、2階は1941年に経理部門が設置されました。なお、職員食堂は1949年に警務室宿舎に改造されたようです。
戦時指揮センター
この三角屋根の建物は1943年に建てられた戦時指揮センターです。鉄道部幹部の避難先となっており、上下二重の鉄筋コンクリート造りで防弾性能を確保するために円錐形状となっています。
工務室と電源室
右側の工務室は台北工場が松山に移設された後の1934年に建てられたもので西洋式の木造建築となっています。左側の電源室は1925年以前に建てられたもので内部に変圧器や配電盤を設置、工場内や庁舎などで使用する電力を管理していました。
電源室と八角楼
左側の建物は電源室、右側の建物は八角楼と呼ばれる職員トイレです。八角楼は1919年に建てられた男子専用の職員トイレです。建物は鉄筋コンクリートの中空八角形で屋根はスレートを使用、傘を開いたような構造になっています。
工務室と戦時指揮センター
現在も工事が進められています。
鉄道部官舎
こちらは職員用の宿舎だったようです。
台北工場
1909年に建てられた車両修理工場です。建物の柱にはヨーロッパから購入した廃レールを使用して造られています。
台北工場の機能を松山や移管してからは台湾鉄路管理局のホールとして使用、台北捷運の工事に伴い解体する予定でしたが歴史的価値が認められて保存が決まりました。
台北工場前にあるモニュメント
台北工場の前には以前の煉瓦造りの復元模型が設置されています。
工事柵に描かれている庁舎の図面
工事柵に描かれている八角楼の図面
工事柵に描かれている食堂の図面
工事柵に描かれている電気室の図面
工事柵に描かれている戦時指揮センターの図面
工事中の食堂
跡地は2009年から国立台湾博物館が代理管理者となり復元作業が進められています。
工事中の工務室
現在の計画では2019年度内に台湾博物館の鉄道パークとして公開される予定になっています。
この後は台北駅で最後の台湾最後の排骨弁当を頂きます。
台北駅
現在の台北駅は5代目となるもので、1989年9月に完成しました。
駅舎は地上6階、地下2階建てとなっており、3階から6階は台湾鉄路管理局の事務所となっています。
台鉄弁当
台湾旅行最後の排骨弁当。思い残すことが無いように2個食いしてきました。
この後は桃園機場捷運で桃園国際空港へ向かいます。
バニラ航空のチェックインカウンター
手荷物を預けて航空機に乗り込みます。
桃園国際空港ではエバー航空が手続きを受託しているようです。
搭乗前の軽食
やっぱり足りなかったので搭乗前にサンドイッチも頂きました(笑)
航空機から見た夕日
■桃園国際空港
15:05発
JW106便(バニラ・エア)
19:10着
■成田空港
成田空港に到着したJW106便
この後は車に乗り換えて自宅へ帰ります。
本日の撮影はここまで